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不染鉄展 [美術]

東京ステーションギャラリー
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201707_fusentetsu.html

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不染鉄(ふせん てつ)(1891年 - 1976年)。初めて聞いた名前。没後40年記念の展覧会だが、回顧展は21年前の一回きりで幻の画家と言われているらしい。と言うのも中央画壇から離れて活動していたからだとか。経歴もかなり変わっていて、20代の初め写生旅行に行った伊豆大島に住み着いて3年漁師をしたかと思うと、戻ってから京都絵専(現・芸大)に入学、帝展に入選するなど才能を高く評価されながら、戦後は奈良に住み着いて校長先生をやっていたそう。
「芸術はすべて心である。芸術修行とは心をみがく事である」とし、「いヽ人になりたい」と願ったという。
なんだかちょっと仙人のような人柄を想像してしまう。

初期の画風は、文人画のような南画のような、暖かみのある風景画が多い。
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《林間》大正8(1919)年頃
これは彩色だけど、水墨画にいい味わいの絵がたくさんあった。
また絵日記風の絵巻には字がびっしり書き込まれ、その文章もまた飄々として面白い。
絵の中の家々にはほとんどが人が描かれて生活が匂う。その眼差しが温かい。

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《山海図絵(伊豆の追憶)》大正14(1925)年
鉄の代表作とみなされる一枚。よく見ると遠近感とか比率がおかしい。手前に伊豆の海、富士を越して遙か日本海まで描かれるという奇抜さ。だが細部はあくまで写実。奇想と言うべきか。

1952年に校長の職を辞した後は画業に専念。この時代には、漁師をしていた頃への郷愁か、海の絵をたくさん描いているという。

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《南海之図》昭和30(1955)年頃
海の絵と言ってもそんじょそこらの海とは違う。一体どういう視点から描いているのか。まるで爆発しているような島に押し寄せる果てしない波。見ていると海の底に引きずり込まれそうな感覚になる。

晩年は奈良の景色や、日常や思い出を絵と文で綴った絵はがきも多く描いた。ほっこりとするユーモアと、ひたすら芸術を追究する純粋な人柄が重なり合う。

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《落葉浄土》 昭和49(1974)
田舎びた風景の中に立つ寺。よく見ると中にも外にも仏像が小さくもしっかり描き込まれて、周りの人家とともにひっそりと、しかし山村の暮らしに溶け込んだ信仰が見えるよう。

好みから言うと、若い頃の山水画がいちばん好きだったけど、他の絵もとてもインパクトが強くて、しかしどこか清々しさも感じる。こんな画家がいたんだ、と驚き。
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