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劇団☆新感線『バサラオ』 [舞台]
劇団☆新感線『バサラオ』
明治座
いのうえ歌舞伎の新作
主演に生田斗真を迎え、美貌を武器に天下を狙う男を巡って、ミカド、執権の綱引きと戦闘が繰り広げられる。
中島かずきの脚本らしく、裏切りと騙しの連続で最後まで誰が勝ち残るのか解らない、そしてどんどん人が殺される。
ヒュウガの生田斗真は宣伝文句そのまま、美しすぎる妖しさを振りまき、冷酷で残酷。
カイリ中村倫也が「軍師」としてヒュウガと手を組みながら隙を狙う。
サキドのりょうが女ながら知謀を腕を持つ麗しい女武者。
アキノの西野七瀬、可憐な見た目を裏切る女剣士で帝の護衛。
ゴノミカドの古田新太が胡散臭さ全開、高貴さの全くない帝。
執権・キタタカ粟根まことが俗っぽさを振りまく。
その他いつもの新感線のメンバーも強烈な個性で魅せて、舞台の隅々まで目が足りない。
ストーリー的には誰にも正義も大義もなく、誰にもいまいち感情移入できないのが難だが、逆に言えばそうだからどんどん殺されてもあまり悲しくならない。最後も誰が勝者なのかもよく解らない感じ。
特にカイリの本心がわかりにくく感じたのは私だけかな。憎しみは愛の裏返しなのかなとも思ったり。
新感線らしく、ノリノリの歌と踊りを挟みながら、ガンガン殺陣で繋いでいく、息もつかせぬ展開で、最初から最後まで次はどう来るかとドキドキワクワクしながら見ることができた。
明治座
いのうえ歌舞伎の新作
主演に生田斗真を迎え、美貌を武器に天下を狙う男を巡って、ミカド、執権の綱引きと戦闘が繰り広げられる。
中島かずきの脚本らしく、裏切りと騙しの連続で最後まで誰が勝ち残るのか解らない、そしてどんどん人が殺される。
ヒュウガの生田斗真は宣伝文句そのまま、美しすぎる妖しさを振りまき、冷酷で残酷。
カイリ中村倫也が「軍師」としてヒュウガと手を組みながら隙を狙う。
サキドのりょうが女ながら知謀を腕を持つ麗しい女武者。
アキノの西野七瀬、可憐な見た目を裏切る女剣士で帝の護衛。
ゴノミカドの古田新太が胡散臭さ全開、高貴さの全くない帝。
執権・キタタカ粟根まことが俗っぽさを振りまく。
その他いつもの新感線のメンバーも強烈な個性で魅せて、舞台の隅々まで目が足りない。
ストーリー的には誰にも正義も大義もなく、誰にもいまいち感情移入できないのが難だが、逆に言えばそうだからどんどん殺されてもあまり悲しくならない。最後も誰が勝者なのかもよく解らない感じ。
特にカイリの本心がわかりにくく感じたのは私だけかな。憎しみは愛の裏返しなのかなとも思ったり。
新感線らしく、ノリノリの歌と踊りを挟みながら、ガンガン殺陣で繋いでいく、息もつかせぬ展開で、最初から最後まで次はどう来るかとドキドキワクワクしながら見ることができた。
天守物語 [舞台]
PRAY[>]?vol.4 × 篠井英介
超攻撃型“新派劇”「天守物語」
8月23日(金) 東京芸術劇場シアターウェスト
歌舞伎でお馴染みの泉鏡花の「天守物語」を、女形篠井英介がPRAY[>]の演出家桂佑輔と組んでの上演。
舞台装置はほとんどなく、芝居の要となる獅子はなんだかスクラップを組み立てたような、それと言われなければわからない置物のよう。
狭い舞台を補うように、客席通路を役者が行き交う。
幕開き(と言っても幕はないが)わらわらと登場した人達が、本来なら芝居の後半で天守に押し寄せた侍が語る獅子のいわれをコロスのように語る。
が、その後はいたって通常の台本で、台詞も聞き慣れたとおり。
衣装はモダンだが篠井さんの富姫は富姫そのもので、高貴で妖しく強く、そして可愛い恋する女で、素晴らしかった。
林佑樹さんの亀姫も無垢な残酷さがあって魅せる。相変わらずお美しい。そして手つきとか所作がさすがに綺麗。
図書之助の安里勇哉さんは、はじめは篠井さん相手に格が違う感じがしてしまったが、むしろその違いが妖の富姫と俗の図書に見えてくる不思議さも感じた。
薄は長谷川稀世さんで貫禄とそこはかとしたユーモアも醸し出す。
その他のカンパニーもなかなか独特で強烈な存在感。
富姫や亀姫の衣装が素敵だった。
攻撃型と言っても普通と違うのは幕開きと幕切れくらいな感じ。最後の演出は反戦のメッセージを込めているのだろうが、いささか蛇足な感じもあった。
超攻撃型“新派劇”「天守物語」
8月23日(金) 東京芸術劇場シアターウェスト
歌舞伎でお馴染みの泉鏡花の「天守物語」を、女形篠井英介がPRAY[>]の演出家桂佑輔と組んでの上演。
舞台装置はほとんどなく、芝居の要となる獅子はなんだかスクラップを組み立てたような、それと言われなければわからない置物のよう。
狭い舞台を補うように、客席通路を役者が行き交う。
幕開き(と言っても幕はないが)わらわらと登場した人達が、本来なら芝居の後半で天守に押し寄せた侍が語る獅子のいわれをコロスのように語る。
が、その後はいたって通常の台本で、台詞も聞き慣れたとおり。
衣装はモダンだが篠井さんの富姫は富姫そのもので、高貴で妖しく強く、そして可愛い恋する女で、素晴らしかった。
林佑樹さんの亀姫も無垢な残酷さがあって魅せる。相変わらずお美しい。そして手つきとか所作がさすがに綺麗。
図書之助の安里勇哉さんは、はじめは篠井さん相手に格が違う感じがしてしまったが、むしろその違いが妖の富姫と俗の図書に見えてくる不思議さも感じた。
薄は長谷川稀世さんで貫禄とそこはかとしたユーモアも醸し出す。
その他のカンパニーもなかなか独特で強烈な存在感。
富姫や亀姫の衣装が素敵だった。
攻撃型と言っても普通と違うのは幕開きと幕切れくらいな感じ。最後の演出は反戦のメッセージを込めているのだろうが、いささか蛇足な感じもあった。
立春歌舞伎特別公演夜の部 [舞台]
大阪松竹座
1、新版色讀販(シンパンウキナノヨミウリ)
ちょいのせ、油屋店先~同蔵前
油屋番頭善六 = 中村鴈治郎(4代目)
丁稚久松 = 中村壱太郎(初代)
娘お染 = 尾上右近(2代目)
女中おとり = 中村鴈乃助(2代目)
手代定吉 = 中村鴈洋
油屋後家おみね = 上村吉弥(6代目)
松屋源右衛門 = 中村亀鶴(2代目)
山家屋清兵衛 = 片岡愛之助(6代目)
お染久松ものの一つだが、かなり喜劇的なのが特徴。文楽ではこれに近いのを見たことがあるが歌舞伎では初めて。
鴈治郞がお染に横恋慕して久松を陥れようとする番頭だが、ことごとく清兵衛に邪魔されて上手くいかないのを滑稽味たっぷりに見せる。ほんとに嫌な奴なんだが、鴈治郞がやるとどこか憎めない。
そして最後の蔵前では人形振りになるのだがこれもめちゃくちゃ可笑しい。さすががんじろはん。
右近のお染はきれいだが、この場のお染はもうちょっと頭の弱い感じの方が良いかなあ。
壱太郎の久松がうじうじして良い。
清兵衛の愛之助は儲け役。
吉弥の後家がしっかり者の商家のおかみらしい風情。
最後はお染久松と善六が人形振りで務めるが、歌舞伎の人形振りって何のためにやるのかさっぱりわからない。
2 連獅子(レンジシ)
狂言師右近後に親獅子の精 = 中村扇雀(3代目)
狂言師左近後に仔獅子の精 = 中村虎之介(初代)
法華の僧蓮念 = 中村かなめ(初代)
浄土の僧遍念 = 市川荒五郎(5代目)
扇雀と虎之介親子の連獅子は初めてかな。とてもきっちりとした行儀の良い踊り。前シテはもちろん後シテの方もあまりケレン味がなく、淡々と言っては言いすぎかもだが、毛振りもきれいに合わせていてそれはそれで結構なんだけど、やっぱりこの演目だともう少し盛り上がるところがほしいなあ、と感じたのも正直なところ。
3 曽根崎心中(ソネザキシンジュウ)
天満屋お初 = 中村壱太郎(初代)
平野屋徳兵衛 = 尾上右近(2代目)
天満屋惣兵衛 = 中村寿治郎(初代)
油屋九平次 = 中村亀鶴(2代目)
平野屋久右衛門 = 中村鴈治郎(4代目)
壱太郎のお初は初演ではないが私は初見。つまり、亡くなった藤十郎以外のお初を初めて見た。当然、見た目からして若々しく可憐。藤十郎の濃厚な色気ではなく、清純さが際立つ。廓という泥水に浸かっても汚れなき少女のまま徳兵衛を命がけで愛して死んでいく。
一方の右近は江戸の役者が近松をやる難しさは感じさせるが健闘。若さ故の処世術のなさとお初への愛に絡み取られて死ぬしかない。大人から見れば他にしようがあろうと思えど二人には届かない。
亀鶴の九平次が憎たらしくて嫌味な敵役。とても良いが、この頃こういう役が多くてもったいないなあ。
鴈治郞が今回は久右衛門 に回って、出番は少ないが甥への慈愛を見せる。
ただ、今回演出など見直しがあったようで、ずいぶん印象が違った。特に生玉の場の最後と幕切れ。
生玉の最後、徳兵衛が打ちたたかれたあと呆然と花道を入っていく。徳兵衛の失意を強調したいのだろうが、ここまでしないといけないかなと感じたり。
幕切れも二人が死ぬまでがやたら長く感じられて、正直イラッとした。なんだか新作みたいであざとく感じて。そこまでしなくても伝わるのに。
今月の公演は昼夜ともお弟子さんが活躍していたのは嬉しかった。今後とも続きますように。
立春歌舞伎特別公演昼の部 [舞台]
源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)
義賢最期(よしかたさいご) 竹生島遊覧(ちくぶしまゆうらん) 実盛物語(さねもりものがたり)
木曽先生義賢・斎藤別当実盛 = 片岡愛之助(6代目)
下部折平実は多田蔵人行綱 = 尾上右近(2代目)
御台葵御前 = 片岡千壽(初代)
高橋判官長常・矢走仁惣太 = 市川荒五郎(5代目)
進野次郎宗政・塩見忠太 = 上村吉太朗
待宵姫 = 片岡りき彌
百姓九郎助 = 片岡松之助(4代目)
矢走兵内・平宗盛 = 中村亀鶴(2代目)
九郎助娘小万 = 中村壱太郎(初代)
九郎助女房小よし = 上村吉弥(6代目)
瀬尾十郎兼氏 = 中村鴈治郎(4代目)
通しでの上演は珍しい。
愛之助が義賢と実盛の二役を務める力演。
義賢では骨太な誇り高き源氏の武将として、大立ち回りを見せた後凄絶な最期を遂げる。襖倒し・仏倒れなどの激しい立ち回りも見もの。
実盛の方は颯爽とした様子で、物語も口跡良く爽やか。もっとこういう古典をどんどんやってほしいのよ。
小万は壱太郎で、甲斐甲斐しい女房・母で、義賢に行きがかり上ながら源氏の白旗を託されてそれを守ろうとする健気さと哀れさを見せた。
葵御前の千壽、待宵姫のりき彌と上方のお弟子さんが良い役を貰っていたのが嬉しい。しっかり期待に応えて力を見せてくれた。
実盛物語では鴈治郞の瀬尾が、前半は憎々しさを、後半は孫への愛情を見せて手堅い。
松之助と吉弥の夫婦がきっちり。
義賢最期(よしかたさいご) 竹生島遊覧(ちくぶしまゆうらん) 実盛物語(さねもりものがたり)
木曽先生義賢・斎藤別当実盛 = 片岡愛之助(6代目)
下部折平実は多田蔵人行綱 = 尾上右近(2代目)
御台葵御前 = 片岡千壽(初代)
高橋判官長常・矢走仁惣太 = 市川荒五郎(5代目)
進野次郎宗政・塩見忠太 = 上村吉太朗
待宵姫 = 片岡りき彌
百姓九郎助 = 片岡松之助(4代目)
矢走兵内・平宗盛 = 中村亀鶴(2代目)
九郎助娘小万 = 中村壱太郎(初代)
九郎助女房小よし = 上村吉弥(6代目)
瀬尾十郎兼氏 = 中村鴈治郎(4代目)
通しでの上演は珍しい。
愛之助が義賢と実盛の二役を務める力演。
義賢では骨太な誇り高き源氏の武将として、大立ち回りを見せた後凄絶な最期を遂げる。襖倒し・仏倒れなどの激しい立ち回りも見もの。
実盛の方は颯爽とした様子で、物語も口跡良く爽やか。もっとこういう古典をどんどんやってほしいのよ。
小万は壱太郎で、甲斐甲斐しい女房・母で、義賢に行きがかり上ながら源氏の白旗を託されてそれを守ろうとする健気さと哀れさを見せた。
葵御前の千壽、待宵姫のりき彌と上方のお弟子さんが良い役を貰っていたのが嬉しい。しっかり期待に応えて力を見せてくれた。
実盛物語では鴈治郞の瀬尾が、前半は憎々しさを、後半は孫への愛情を見せて手堅い。
松之助と吉弥の夫婦がきっちり。
二月御園座大歌舞伎夜の部 [舞台]
一、相生獅子(あいおいじし)
姫 廣松
姫 莟玉
廣松と莟玉という清新な組み合わせ。可愛い綺麗で眼福。最後の毛振りは連獅子の経験あるせいか莟玉に勢いがあった。おっとり可愛い莟玉と、すっきり綺麗な廣松、良いコンビでは。
二、慶安太平記(けいあんたいへいき) 丸橋忠弥
丸橋忠弥 男女蔵
女房おせつ 廣松
駒飼五郎平 男寅
弓師藤四郎 九團次
松平伊豆守 右團次
後半の忠弥の大立ち回り以外はさして面白いとは思わない演目だが、男女蔵がやるとは思わなかった。と言うか、今月は昼の部の和尚吉三と言い、男女蔵ブートキャンプなのだが、左團次襲名への布石だろうか。
ま、それはともかく、男女蔵の忠弥は前半の泥酔いの様子はまずまず。むしろ正気を見せて堀の深さを測るところに鋭さがほしい。立ち回りの方は、頑張ってるけど、手慣れてない気がしてちょっとハラハラしてしまった。
廣松が武家の妻女らしい落ち着きとかいがいしさを見せて良かった。男女蔵に負けず劣らず今月の廣松はほぼ出ずっぱりの大奮闘。どれも手堅くこなして立派だった。去年あたりから急にきれいになったし、今後が楽しみだが、この成田屋の座組に入っているとなかなか歌舞伎座で見られないのが惜しい。
三、 十三代目市川團十郎白猿 八代目市川新之助 襲名披露 口上(こうじょう)
仕切りは梅玉。襲名公演全てに付き合っているとのことで、ご苦労様である。
左團次さんもいなくなって、特別面白いことを言う人もいなくなって寂しいね。
萬次郎が立役の拵えだったのがびっくり。
四、歌舞伎十八番の内 勧進帳(かんじんちょう)
武蔵坊弁慶 海老蔵改め團十郎
富樫左衛門 菊之助
亀井六郎 右團次
片岡八郎 九團次
駿河次郎 廣松
常陸坊海尊 市蔵
源義経 雀右衛門
襲名公演だけでも何回やってるんだ、という弁慶。もちろんすっかり手に入っているし姿形は美しい。でも決まり決まりが大仰なのが相変わらずでげんなりする。
期待の菊之助の富樫は、さすがに爽やかで口跡も良い。ああもっと大御所の弁慶とみたかったな。
雀右衛門の義経は気品と情はあるが、もう少し御大将らしいキリッとしたところがある方が個人的には好み。
なんだか襲名の主役二人より、廣松や男女蔵の方に関心が行ってしまった。いまさら大して期待もしていないが、同じ演目ばかりの襲名を早く終えて、もっとしっかり古典に取り組んでほしいもの。
姫 廣松
姫 莟玉
廣松と莟玉という清新な組み合わせ。可愛い綺麗で眼福。最後の毛振りは連獅子の経験あるせいか莟玉に勢いがあった。おっとり可愛い莟玉と、すっきり綺麗な廣松、良いコンビでは。
二、慶安太平記(けいあんたいへいき) 丸橋忠弥
丸橋忠弥 男女蔵
女房おせつ 廣松
駒飼五郎平 男寅
弓師藤四郎 九團次
松平伊豆守 右團次
後半の忠弥の大立ち回り以外はさして面白いとは思わない演目だが、男女蔵がやるとは思わなかった。と言うか、今月は昼の部の和尚吉三と言い、男女蔵ブートキャンプなのだが、左團次襲名への布石だろうか。
ま、それはともかく、男女蔵の忠弥は前半の泥酔いの様子はまずまず。むしろ正気を見せて堀の深さを測るところに鋭さがほしい。立ち回りの方は、頑張ってるけど、手慣れてない気がしてちょっとハラハラしてしまった。
廣松が武家の妻女らしい落ち着きとかいがいしさを見せて良かった。男女蔵に負けず劣らず今月の廣松はほぼ出ずっぱりの大奮闘。どれも手堅くこなして立派だった。去年あたりから急にきれいになったし、今後が楽しみだが、この成田屋の座組に入っているとなかなか歌舞伎座で見られないのが惜しい。
三、 十三代目市川團十郎白猿 八代目市川新之助 襲名披露 口上(こうじょう)
仕切りは梅玉。襲名公演全てに付き合っているとのことで、ご苦労様である。
左團次さんもいなくなって、特別面白いことを言う人もいなくなって寂しいね。
萬次郎が立役の拵えだったのがびっくり。
四、歌舞伎十八番の内 勧進帳(かんじんちょう)
武蔵坊弁慶 海老蔵改め團十郎
富樫左衛門 菊之助
亀井六郎 右團次
片岡八郎 九團次
駿河次郎 廣松
常陸坊海尊 市蔵
源義経 雀右衛門
襲名公演だけでも何回やってるんだ、という弁慶。もちろんすっかり手に入っているし姿形は美しい。でも決まり決まりが大仰なのが相変わらずでげんなりする。
期待の菊之助の富樫は、さすがに爽やかで口跡も良い。ああもっと大御所の弁慶とみたかったな。
雀右衛門の義経は気品と情はあるが、もう少し御大将らしいキリッとしたところがある方が個人的には好み。
なんだか襲名の主役二人より、廣松や男女蔵の方に関心が行ってしまった。いまさら大して期待もしていないが、同じ演目ばかりの襲名を早く終えて、もっとしっかり古典に取り組んでほしいもの。
二月御園座大歌舞伎昼の部 [舞台]
團十郎襲名披露興行。
にしては座組が小さい気がする。いつも一緒にやってる顔触れがほとんど、と言うのはいささか残念ではある。
一、三人吉三巴白浪(さんにんきちさともえのしらなみ)
大川端庚申塚の場
お嬢吉三 莟玉
お坊吉三 廣松
和尚吉三 男女蔵
私が観たのはこの配役だったが、前半後半でお嬢とお坊の二人がWキャスト。若手二人の挑戦の場となったよう。
莟玉のお嬢ははじめの娘姿が愛らしく、本性を顕してからの方はちょっとまだ手探りで勉強してる感じ。
驚いたのは廣松で、台詞がしっかりしていて崩れきらない若侍の美しさがあった。立ち回りこそ腰が入ってない感じはあるが初役にしては立派なもの。
男女蔵の和尚というのも歌舞伎座ではなかなか見られそうにない。こちらも手慣れた感じはしないがまあきっちりやることはやっている。
とは言え三人とも黙阿弥の退廃館のようなものが感じられず物足りなさも。
二、鯉つかみ(こいつかみ)
滝窓志賀之助/滝窓志賀之助実は鯉の精 右團次
小桜姫 玉太郎
短縮版というか、最初の志賀之助(偽物)と小桜姫の再会の場から、本物と鯉の精の立ち回りの場だけの上演。
玉太郎の小桜姫は楚々として可憐。
右團次の志賀之助も凜々しいが、何しろ本水も使わない立ち回りなので、肩透かしを食らった気分。
え~、思ってた鯉つかみじゃない。。。といささかがっかり。
三、歌舞伎十八番の内 外郎売(ういろううり)
外郎売実は曽我五郎 新之助
大磯の虎 魁春
小林朝比奈 男女蔵
化粧坂少将 廣松
遊君喜瀬川 莟玉
遊君亀菊 玉太郎
梶原平次景高 男寅
茶道珍斎 市蔵
梶原平三景時 家橘
小林妹舞鶴 萬次郎
工藤祐経 梅玉
新之助の襲名披露演目。一昨年の歌舞伎座でもやって、その後他の劇場でもやり、すっかり身についた役。子供とは思えない長台詞もしっかりこなし可愛らしさもあって客席の拍手をさらう。だが、歌舞伎座でも感じたが、台詞回しにやや癖があり、早く義太夫を習って直してほしいと思う。父親より素質はあると思えるので、しっかり育ててほしい。
この頃すっかり工藤役者になった梅玉が貫禄と懐の深さを見せる。
ひさしぶり(?)にこういうお役の魁春がおっとりとした中にも落ち着きと華を見せる。まだまだこういう綺麗な役をやってほしい。
四、吉野山(よしのやま)
佐藤忠信実は源九郎狐 團十郎
逸見藤太 九團次
静御前 雀右衛門
團十郎の踊りがメインの演目なんていつ以来かしら。まあ確かに男前!なのは間違いない。余計なこともせず神妙にやっていたのは結構。最後は衣装をぶっ返っての引っ込みで派手なところを見せた。
雀右衛門の静も品が良くきれい。幕開き板付きではなく花道から出るフルバージョン。
九團次がおかしみを見せる。
二人とも踊りの名手と言うのではないが楽しめた。
にしては座組が小さい気がする。いつも一緒にやってる顔触れがほとんど、と言うのはいささか残念ではある。
一、三人吉三巴白浪(さんにんきちさともえのしらなみ)
大川端庚申塚の場
お嬢吉三 莟玉
お坊吉三 廣松
和尚吉三 男女蔵
私が観たのはこの配役だったが、前半後半でお嬢とお坊の二人がWキャスト。若手二人の挑戦の場となったよう。
莟玉のお嬢ははじめの娘姿が愛らしく、本性を顕してからの方はちょっとまだ手探りで勉強してる感じ。
驚いたのは廣松で、台詞がしっかりしていて崩れきらない若侍の美しさがあった。立ち回りこそ腰が入ってない感じはあるが初役にしては立派なもの。
男女蔵の和尚というのも歌舞伎座ではなかなか見られそうにない。こちらも手慣れた感じはしないがまあきっちりやることはやっている。
とは言え三人とも黙阿弥の退廃館のようなものが感じられず物足りなさも。
二、鯉つかみ(こいつかみ)
滝窓志賀之助/滝窓志賀之助実は鯉の精 右團次
小桜姫 玉太郎
短縮版というか、最初の志賀之助(偽物)と小桜姫の再会の場から、本物と鯉の精の立ち回りの場だけの上演。
玉太郎の小桜姫は楚々として可憐。
右團次の志賀之助も凜々しいが、何しろ本水も使わない立ち回りなので、肩透かしを食らった気分。
え~、思ってた鯉つかみじゃない。。。といささかがっかり。
三、歌舞伎十八番の内 外郎売(ういろううり)
外郎売実は曽我五郎 新之助
大磯の虎 魁春
小林朝比奈 男女蔵
化粧坂少将 廣松
遊君喜瀬川 莟玉
遊君亀菊 玉太郎
梶原平次景高 男寅
茶道珍斎 市蔵
梶原平三景時 家橘
小林妹舞鶴 萬次郎
工藤祐経 梅玉
新之助の襲名披露演目。一昨年の歌舞伎座でもやって、その後他の劇場でもやり、すっかり身についた役。子供とは思えない長台詞もしっかりこなし可愛らしさもあって客席の拍手をさらう。だが、歌舞伎座でも感じたが、台詞回しにやや癖があり、早く義太夫を習って直してほしいと思う。父親より素質はあると思えるので、しっかり育ててほしい。
この頃すっかり工藤役者になった梅玉が貫禄と懐の深さを見せる。
ひさしぶり(?)にこういうお役の魁春がおっとりとした中にも落ち着きと華を見せる。まだまだこういう綺麗な役をやってほしい。
四、吉野山(よしのやま)
佐藤忠信実は源九郎狐 團十郎
逸見藤太 九團次
静御前 雀右衛門
團十郎の踊りがメインの演目なんていつ以来かしら。まあ確かに男前!なのは間違いない。余計なこともせず神妙にやっていたのは結構。最後は衣装をぶっ返っての引っ込みで派手なところを見せた。
雀右衛門の静も品が良くきれい。幕開き板付きではなく花道から出るフルバージョン。
九團次がおかしみを見せる。
二人とも踊りの名手と言うのではないが楽しめた。
うるしとともに ―くらしのなかの漆芸美 [美術]
泉屋博古館
漆芸や蒔絵の名品の数々が並ぶ展覧会。
と言うのはそう珍しくもないが、目を引くのは明治から大正にかけて、住友家が象彦に発注して作らせた会席用の器一式など、実際に使われた食器類の見事さ。
中でも象彦の謡曲に題材を取った丸盆のセットは一枚一枚のデザインも素敵で洗練されていた。
江戸時代ならともかく、明治大正の財閥もこういう立派なものを使っていたんだなあ。
もちろんもっと古い名品もあって、中国の螺鈿や堆漆の超絶技巧を施したものや江戸時代の凝った蒔絵のものなど、ため息が出るよう。こういうものは実用ではなく鑑賞用だったのだろう。
同時開催として、新たにコレクションに寄贈された染付の大皿も展示。こちらも大胆な絵柄と技術が素晴らしい。
漆芸や蒔絵の名品の数々が並ぶ展覧会。
と言うのはそう珍しくもないが、目を引くのは明治から大正にかけて、住友家が象彦に発注して作らせた会席用の器一式など、実際に使われた食器類の見事さ。
中でも象彦の謡曲に題材を取った丸盆のセットは一枚一枚のデザインも素敵で洗練されていた。
江戸時代ならともかく、明治大正の財閥もこういう立派なものを使っていたんだなあ。
もちろんもっと古い名品もあって、中国の螺鈿や堆漆の超絶技巧を施したものや江戸時代の凝った蒔絵のものなど、ため息が出るよう。こういうものは実用ではなく鑑賞用だったのだろう。
同時開催として、新たにコレクションに寄贈された染付の大皿も展示。こちらも大胆な絵柄と技術が素晴らしい。
大倉集古館の春展 [美術]
鳥文斎栄之展 [美術]
サムライ、浮世絵師になる!鳥文斎栄之展 千葉市美術館
鳥文斎栄之(ちょうぶんさい・えいし1756−1829)は、元は旗本で将軍家治の時代に「絵具方」という役目を務めた後職を退き浮世絵師となった異例な経歴の持ち主。
画風としては楚々とした長身の美人画を始め、風景画なども手がけ、依頼による肉筆画も多かった。
武士出身ということもあってか、顧客に武家など上流階級を持っていたのも特徴で、質の良い絵の具をふんだんに使ったものも多い。
明治以降海外に流出したものが多いそうで、まとまった展覧会は初めてだという。
《貴婦人の舟遊び》寛政4−5年(1792-93)頃
大判の三枚続き。こういうのを作らせてもらえたのもキャリアの始めからいい客がついていたから。
《若那初模様 丁子屋 いそ山 きちじ たきじ》寛政7年(1785)頃
保存状態が素晴らしく良く、褪色しやすい紫も綺麗に残っている。着物の柄も美しい。
《朝顔美人図》絹本着色 寛政7年(1795)
肉筆画。朝顔の描き方もどことなく品がある。
《郭中美人競 大文字屋内本津枝》寛政9年(1797)頃
背景に雲母を使ったり、着物の柄の刷りも見事。
どれも美しい絵ばかりで見応えがある。滅多に見られない作品も多そう。
なお、同時開催の「武士と絵画 」展も面白い。
栄之が武士出身というのにちなんだのだろう、同じく元は武士の海北友松や酒井抱一、浦上玉堂らの絵画が並ぶ。こちらもお見逃しなく。
鳥文斎栄之(ちょうぶんさい・えいし1756−1829)は、元は旗本で将軍家治の時代に「絵具方」という役目を務めた後職を退き浮世絵師となった異例な経歴の持ち主。
画風としては楚々とした長身の美人画を始め、風景画なども手がけ、依頼による肉筆画も多かった。
武士出身ということもあってか、顧客に武家など上流階級を持っていたのも特徴で、質の良い絵の具をふんだんに使ったものも多い。
明治以降海外に流出したものが多いそうで、まとまった展覧会は初めてだという。
《貴婦人の舟遊び》寛政4−5年(1792-93)頃
大判の三枚続き。こういうのを作らせてもらえたのもキャリアの始めからいい客がついていたから。
《若那初模様 丁子屋 いそ山 きちじ たきじ》寛政7年(1785)頃
保存状態が素晴らしく良く、褪色しやすい紫も綺麗に残っている。着物の柄も美しい。
《朝顔美人図》絹本着色 寛政7年(1795)
肉筆画。朝顔の描き方もどことなく品がある。
《郭中美人競 大文字屋内本津枝》寛政9年(1797)頃
背景に雲母を使ったり、着物の柄の刷りも見事。
どれも美しい絵ばかりで見応えがある。滅多に見られない作品も多そう。
なお、同時開催の「武士と絵画 」展も面白い。
栄之が武士出身というのにちなんだのだろう、同じく元は武士の海北友松や酒井抱一、浦上玉堂らの絵画が並ぶ。こちらもお見逃しなく。
「本阿弥光悦の大宇宙」展 [美術]
「本阿弥光悦の大宇宙」展 東京国立博物館平成館
室町時代末期に生まれ江戸時代初めまで活躍した光悦は、家業の刀剣鑑定家としてだけでなく、漆芸、書、陶芸などジャンルを超えた芸術活動をし、しかもどの分野でも一級の仕事を残した。日本では珍しいマルチな天才と言って良いだろう。
この時代を取り上げたどんな展覧会にも、必ずと言って良いほど光悦の作品が何かある。
だが光悦その人に注目した展覧会は意外と少なかったのではないか。
会場に入るといきなりチラシのメインヴィジュアルにもなっている舟橋蒔絵硯箱がお出迎え。
形といい、文字を散らしたデザインといい、奇抜といっても良いくらい。
第一章では縁の刀剣や、法華宗に深く帰依していた光悦にまつわる経典など。
第二章では能の謡本や蒔絵。謡本の表紙に雲母を使った瀟洒な品の良い絵が美しい。
圧巻は第三章の書。肥痩を自由に操った文字と、宗達の下絵のコラボレーション。後にも先にもこんな見事な美の交歓があるだろうか。
鶴下絵三十六歌仙和歌巻
さらに第四章の陶芸。楽家と繋がりがあって、基本は楽焼なのだろうが、そのしばりから離れた自由な作陶。
黒楽茶碗 銘 時雨
こうして様々なジャンルの作品を見て思うのは、「家の芸」に縛られない自由さ、伸びやかさ。
江戸時代になると日本の多くの芸術芸能は家だの派だのというものに縛られて、他のジャンルに手を出すこともままならなくなっていったのでは。そんなこともふと考えさせられた展覧会。
室町時代末期に生まれ江戸時代初めまで活躍した光悦は、家業の刀剣鑑定家としてだけでなく、漆芸、書、陶芸などジャンルを超えた芸術活動をし、しかもどの分野でも一級の仕事を残した。日本では珍しいマルチな天才と言って良いだろう。
この時代を取り上げたどんな展覧会にも、必ずと言って良いほど光悦の作品が何かある。
だが光悦その人に注目した展覧会は意外と少なかったのではないか。
会場に入るといきなりチラシのメインヴィジュアルにもなっている舟橋蒔絵硯箱がお出迎え。
形といい、文字を散らしたデザインといい、奇抜といっても良いくらい。
第一章では縁の刀剣や、法華宗に深く帰依していた光悦にまつわる経典など。
第二章では能の謡本や蒔絵。謡本の表紙に雲母を使った瀟洒な品の良い絵が美しい。
圧巻は第三章の書。肥痩を自由に操った文字と、宗達の下絵のコラボレーション。後にも先にもこんな見事な美の交歓があるだろうか。
鶴下絵三十六歌仙和歌巻
さらに第四章の陶芸。楽家と繋がりがあって、基本は楽焼なのだろうが、そのしばりから離れた自由な作陶。
黒楽茶碗 銘 時雨
こうして様々なジャンルの作品を見て思うのは、「家の芸」に縛られない自由さ、伸びやかさ。
江戸時代になると日本の多くの芸術芸能は家だの派だのというものに縛られて、他のジャンルに手を出すこともままならなくなっていったのでは。そんなこともふと考えさせられた展覧会。
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