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杉本文楽「曽根崎心中」 [舞台]

8月16日(火)
神奈川芸術劇場
http://sugimoto-bunraku.com/

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3月に行われるはずだったのが震災の影響で延期になり、5ヶ月遅れで、それも公演回数を減らして開催にこぎ着けた杉本文楽の千秋楽を観た。

この公演は、写真家・美術家の杉本博司氏が近松の文楽「曽根崎心中」に原文からアプローチを試み、現在では上演されていない初段の「観音廻り」を復活させるなど、新しく構成、演出したもので、だから「杉本文楽」。

まず会場は、3階席まである現代的なホール。普段文楽を上演する劇場とは随分違う。手すりも船底もない平らな舞台に、中央から客席の方へ突き出た花道代わりの特設ステージが付く。

プロローグ、いったん会場全体が真っ暗になったあと、スポットライトの中、その中央部分にせり上がってきたのは三味線の清治。ここはおそらくこの公演のために作曲されたのだろう、語りはなく三味線だけで(後ろの方で清志郞の胡弓も加わるが)、これから始まる舞台への期待と緊張感を一気に高めるような、清治の鋭い三味線が響き、観客を引きつける。

続いてが「観音廻り」。
舞台左右に、斜めに奥に向かって配置されたスクリーンがあり、その奥から勘十郎一人遣いのお初が出てくる。このために作られたお初の人形は現在の三人遣いの人形より一回りくらい小さい。話題のエルメスのスカーフであつらえた着物は綺麗だけれど、後ろのお客さんには見えなかっただろう。スクリーンには別撮りしたお初の人形の顔と、観音廻りに出てくる寺の映像が交互に映されるのだが、私には煩わしく思えた。どうせ映すのなら、舞台上の一人遣いのお初をライヴで見せた方が良くはなかったろうか。私の席は前から2列目だったから何とか見えたけれど、3階の人なんてせっかく勘十郎さんの工夫の一人遣いも何をやってるかほとんど見えなかっただろうに。

語りは咲甫大夫に、三味線が藤蔵、清馗、清丈。事前インタビューで杉本が、ここはほんとなら3,40分かかるところを15分でやってもらう、と言っていたとおり、かなりのハイスピード。率直に言って詞章がよく聞き取れなかったが、いろんなお寺を回ってはるんやな、とわかればそれで良いのかな。

最後に中央のせりから本物の仏像が出てきて(聞くところによると杉本氏所蔵のものとか)、お初がそれにすがるように見上げたところでせりが下がり暗転。どこか安堵したようなお初が美しい。

生玉社の段は、津駒大夫と清志郞が下手に座る。セットは鳥居だけという簡素なもの。ここは浄瑠璃はほぼ通常通りかと思う。人形もここからはいつもの三人遣い。徳兵衛は簑助。
この段に限らず、手すりがないので人形遣いの姿が足元まで丸見えという珍しい体験。主遣いも高下駄を履いていないので、足遣いが大変そう。さらに、小道具の出し入れなどをする手伝いの人の姿も見えるのが面白いとも言えるが、煩いとも言える。
また、手すりがない分、人形の動きは普通の舞台よりも奥行きが出るのが興味深い。

天満屋の段は嶋大夫と清治の珍しい組み合わせ。セットは下手に扉、舞台上部に大きな暖簾状の布をかけ、上手に階段。ここは縁の下を設定する必要から、生玉社に比べると現行のセットにやや近い。

この段の注目はなんと言っても嶋大夫と清治。本公演では組むことのない二人だ。嶋大夫の情感溢れるたっぷりとした語りに、清治のスピード感あるハイブリッドな三味線というのは、組み合わせの妙というものはあったがしかし、正直言うと違和感の方が強かった。二人のベクトルの向きが違っていて、お互いの良さを消しているように感じたのだ。普段の嶋さんなら、もっとたっぷりじっくり情を聞かせてくれる気がするが、なんだか清治さんのノリに付き合っちゃったかなあ、と言う気がして、嶋さんファンとしてはやや不満が残った。

人形では、九平次の頭をこの公演のために新たに制作とのこと。普通九平次に使う陀羅助より孔明に近いような、ニヒルな感じとでも言おうか。悪役だけれど徳兵衛の友人、と言う微妙な性格付けをしたと言うことか。
眼目の、徳兵衛がお初の足を取って心中の決意を伝える場面が、縁の下のセットの構造が悪いのかやや観にくくお初の足の動きがよくわからなかったのが残念。
とはいえ、死を思い定めた二人の表情が哀感と共に凄味を見せたのはさすが。

幕切れで、やっと店を抜け出した二人が、普通は袖に入っていくところを、例の中央花道から客席を通って外に出て行ったのが趣向の一つ。

道行は文字久、呂勢、咲甫、靖に清介、藤蔵、清志郞、清馗、清丈が下手に後ろに大夫前に三味線と二列に並ぶ。自分の席が下手側だったので目の前にずらりで迫力迫力。

セットはまず中央下手寄りに橋に見立てた柵のようなものを置いただけのところでお初と徳兵衛のクドキがあり、最後は中央花道での心中となる。私の席からだと、最後は真横から二人を見る形になったが、死んでいく二人が息をのむほど美しく、また本当に涙を流しているようにも見えて、ただただ溜息。

全体を通じて、セットは簡略で、背景は黒一色。スポットライトのような照明を使い、いやが上にも目は人形に釘付けになる。
その中で繰り広げられる、簑助勘十郎の二人による徳兵衛とお初の動きは、生身に人間以上に官能的で、ひたすら恋に殉じていく若い二人の死をも恐れぬ恋情を、これでもかと言うほど観るものの心に刺し貫く。エロスと死を描きたいという杉本の意図は見事に結実したと言えるだろう。
だがその一方では、簑助勘十郎を始め、文楽側の演奏も演技も、そういった杉本の演出があってもなくても近松の世界をそれは素晴らしく体現していて、私などは観ていて、文楽というこの大きな大きな芸能の前に照明だのセットだのと言った小手先の演出なんて何するものぞ、と言う気がしたのも事実。
カーテンコールでの簑助師匠の満足そうな顔は、なんだか「どんなもんだい」と言っているような気さえした。

もちろん、この杉本文楽が、文楽の魅力に新しい光を当てたことは認めるし、杉本のファンで初めて文楽を観た人が興味を持った可能性もあるだろう。三業の技さえしっかりしていれば、新しいものも受け入れる力はいくらでもある、と言う文楽の力強さ頼もしさを感じた公演でもあった。
たった5回の公演というのは何とももったいない。ぜひ再演の機会を待ちたい。
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