河井寛次郎展 [美術]
1月10日(月)
日本橋高島屋 1月17日(月)まで。
玉三郎を観た後、歩いて移動。
生誕120年記念の展覧会。
河井と言えば、民芸運動の中心にあった陶芸家、という程度の認識しかなかった。しかしこの展覧会では、陶芸作品はもちろん、書画や木彫など幅広く手がけた作品を展示し、又折々に残された言葉も自身の書で掲示して、河井の全体像に迫っている。
愛染鳥子(1921頃)
中心はやはり陶芸だが、民芸に従事する前の初期の作品は釉薬の変化を多用した華麗な作風。それが民芸活動で一変し、また晩年になると、まるで縄文土器や岡本太郎の作品を思わせるような、大胆で自由な造形を見せるようになるなど、生涯新しい表現を求め続けた様子が展示品からも見て取れる。
三色双頭扁壺(1961頃)
印象的だったのは書というか言葉で、
「此世は自分をさがしに来たところ 此世は自分を見に来たところ」とか、
「新しい自分が見たいのだ――仕事する」
など、平明でありながら深い哲学的な言葉をたくさん残している。
生涯、人間国宝も文化勲章も辞退して、「一陶工」として生きた河井の強さと優しさが感じられるものばかり。
井上靖や棟方志功らのと交友から生まれた作品にも、人を愛し、人から愛された人柄が見える。
芸術家としても素晴らしかったけれど、人間として素晴らしい人だったんだな、と思えた。
拓本「此世このまま大調和」(1950頃)
日本橋高島屋 1月17日(月)まで。
玉三郎を観た後、歩いて移動。
生誕120年記念の展覧会。
河井と言えば、民芸運動の中心にあった陶芸家、という程度の認識しかなかった。しかしこの展覧会では、陶芸作品はもちろん、書画や木彫など幅広く手がけた作品を展示し、又折々に残された言葉も自身の書で掲示して、河井の全体像に迫っている。
愛染鳥子(1921頃)
中心はやはり陶芸だが、民芸に従事する前の初期の作品は釉薬の変化を多用した華麗な作風。それが民芸活動で一変し、また晩年になると、まるで縄文土器や岡本太郎の作品を思わせるような、大胆で自由な造形を見せるようになるなど、生涯新しい表現を求め続けた様子が展示品からも見て取れる。
三色双頭扁壺(1961頃)
印象的だったのは書というか言葉で、
「此世は自分をさがしに来たところ 此世は自分を見に来たところ」とか、
「新しい自分が見たいのだ――仕事する」
など、平明でありながら深い哲学的な言葉をたくさん残している。
生涯、人間国宝も文化勲章も辞退して、「一陶工」として生きた河井の強さと優しさが感じられるものばかり。
井上靖や棟方志功らのと交友から生まれた作品にも、人を愛し、人から愛された人柄が見える。
芸術家としても素晴らしかったけれど、人間として素晴らしい人だったんだな、と思えた。
拓本「此世このまま大調和」(1950頃)
タグ:河井寛次郎
勉強不足で知らなかったです、河井寛次郎。面白そうな人だったんですねぇ。写真の姿は明治の頑固親父って感じだけど、作品や言葉からは全く違った印象を受けます。ほほぉ。。。。
by ぶんじん (2011-01-15 09:53)
私も知らなかったですが、なんとなく
こういう人こそ、もっと光が当たっても良いのでは
と思いますね。
by そらへい (2011-01-15 10:09)
ぶんじんさん、
私も、河井の作品だけの展覧会は初めて見たので、陶芸以外もいろいろ手がけていたと初めて知りました。作品や言葉から人柄が偲ばれて感銘を受けました。随筆集も出ているようなので、今度読んでみようと思っています。
by mami (2011-01-15 23:15)
そらへいさん、
私も詳しくは知りませんでした。
河井のアトリエは京都の五条坂にあって、今は記念館となっているそうです。
機会があれば訪れてみたいです。
by mami (2011-01-15 23:20)
素敵な方だったのですね。
名前は聞いたことがあるな~~くらいのレベルですが
展覧会面白そうです。
by リュカ (2011-01-16 15:43)
リュカさん、
正直言うと、作品そのものは私の趣味ではなかったんですが、作品や言葉から伝わるお人柄に凄く惹かれました。まさに、芸は人なり、なんですね。
by mami (2011-01-16 23:37)