大阪平成中村座・昼の部 [舞台]
10月11日(月)
土曜日は肌寒かったのに、日、月と天気が良くなったら汗ばむくらいの陽気。中村座へは駅から15分くらい歩かないといけないので、日差しが朝から強くて暑かった~。
今回、どちらかというと昼の部の方が目当て。橋之助の熊谷も、勘三郎の忠兵衛も初見なので。
一、一谷嫩軍記
熊谷陣屋(くまがいじんや)
熊谷直実 中村 橋之助
源義経 中村 獅 童
藤の方 坂東 新 悟
堤軍次 中村 萬太郎
弥陀六 坂東 彌十郎
相模 中村 扇 雀
橋之助の熊谷は、「芝翫型」という今では他にやる人のいない珍しい型。まず顔の色が赤っ面と言っても良いような色だったのでちょっとびっくり。普通歌舞伎でこういう色の顔だと悪役なんだもの。もちろん他の人の團十郎型でも白塗りではないがここまで赤くはない。何か理由があるのだろうが、番付もイヤフォンガイドも見聞きしていないので詳しくはわからない。
衣装も、黒のビロード地の着付けに錦の裃で、かなり派手な印象(首実検の場でも着替えない)。「阿古屋」の岩永に似ているので、途中の「物語」の場面などで岩永のように人形振りをするのではないかと妄想して可笑しかった。
台詞はそんなに変わらないと思うが、平山の呼びかけのところで後ろを向くなど物語の場面で動きはだいぶ違う。また特に目につくのは、首実検での有名な制札の見得が、普通は制札を下にするのを逆に上にしていること。
等々、つい違いを探して観てしまい、肝心の橋之助の演技に十分に目が行かないのがこういう珍しい型を観たときの困るところ。
橋之助はこういう大時代な化粧や衣装もよく似合い、やっぱりこの人は時代物がニンの人だな、と改めて思う。口跡もよく、物語ではこの型の方が動きが大きく派手だがきびきびと見せて気持ちいい。いちばん印象的だったのは、首実検の後相模に小次郎の首を渡すとき、それはそれは愛おしそうに辛そうに首を掻き抱いたときで、たとえば吉右衛門だと義経の手前、感情を押し殺す武将の苦しさが感じられるのに対し、素直に父親としての心痛を見せた形。これはこれですっと心に響くものはあり、納得できる。最後の花道の引っ込みまで集中力の高い緊張感のある舞台を見せて立派。芝翫型も、もっと他の人もやってもいい良い型だと思う。
相模は扇雀、父の藤十郎ほど母性愛溢れる、と言うわけではないが、落ち着きのある武士の妻らしいたたずまいを見せた。まだクドキの場面で所作の手順に追われている印象がぬぐえなかったが下旬にかけて手慣れてくればもっと良くなるだろう。
藤の方の新悟はさすがに色気は不足だが、品は良く丁寧に務めていた。
獅童の義経というのはニンじゃない。気品と貫禄に欠ける。
彌十郎 の弥陀六は手堅い出来。
二、新歌舞伎十八番の内
紅葉狩(もみじがり)
更科姫実は戸隠山の鬼女 中村 勘太郎
山神 中村 鶴 松
平維茂 中村 獅 童
勘太郎で観るのは二度目。何しろ踊りが上手い人だから、前半の姫として踊るところは品よく、それがだんだん鬼女の本性を現していくところの変化が、前回に増して自然になっていて巧い。後半の鬼女としては動きが大きく堂々としていてさすがに魅せた。
鶴松の山神がきびきびとした踊りを見せてなかなか立派。
獅童は、やっぱりこういう高貴な役は向いてないんだなあ。後半の鬼女との立ち回りも、踊りじゃなくて殺陣になってしまってる。もうちょっと基礎からがんばらないと。
幕切れで舞台の後が開くのだが、夜と違って舞台に昼日中の日射しが差し込むというのは正直言って興醒めな感じがした。せっかく舞台の幻想的な気分に浸っていたのが、いきなり現実に引き戻されたような、白々しい感じ。中村座特有のサービスのつもりだろうが、舞台効果としてはいただけない。
三、恋飛脚大和往来
封印切(ふういんきり)
亀屋忠兵衛 中村 勘三郎
丹波屋八右衛門 坂東 彌十郎
傾城梅川 中村 七之助
槌屋治右衛門 中村 橋之助
井筒屋おえん 中村 扇 雀
この忠兵衛を藤十郎や仁左衛門など上方役者でない人がやるのを初めて観た気がする。「上方和事」とは何か、なんていうはっきりした定義はわからないが、なんか違うよな~、と言う違和感がずっとあった。
おそらくいちばんの違いは台詞の運びや間のテンポ感。速すぎるのである。勘三郎だけでなく、七之助も、つられて扇雀までもが。だから、始めの三人のやりとりがポンポンと、良く言えば小気味よく進んでしまい、普通この芝居で観られるまったりとした可笑しさではなく、カラッとした江戸世話物のような笑いになっていて、おやおやという感じ。
それに加えて、勘三郎の悪い癖で、おかしみのある場面で受けを狙っているのが見え見えで、特に最初の花道の出のところなど、忠兵衛ではなく素の勘三郎が強く出てしまっているからなおいけない。確かに忠兵衛はお調子者のところのある考えの浅い男だが、あくまでも忠兵衛としてやってくれなくては、勘三郎のキャラで笑わされては困るのだ。
後半の封印を切るところなどはリアルな芝居に徹していて、次第に追い詰められていく苦しさ、幕切れにかけて悲愴さ哀れさを見せただけに、(もっともこのリアルさが、またこういう芝居では違和感があるのだが)、前半もっと工夫してほしいと思う。
彌十郎の八右衛門も、意地の悪いいけ好かない奴の雰囲気は上々だが、勘三郎との掛け合いでは如何せん上方漫才のような面白さは出ず、これは先ほど述べた勘三郎のリアルさのせいなのだが、ここは重苦しい展開を二人の掛け合いでおもしろ可笑しく見せてほしいところなのに、ただ重くなってしまって観ているのが辛い。
七之助の梅川は綺麗で以前よりずっと色気も出るようになったが、いじらしさや健気さというのが薄い。もっと儚げな雰囲気がほしいところ。
扇雀のおえんも一人上方から参加なのだからもっと持ち味を出してほしかったが、勘三郎のペースにはまってしまっていたのは残念。酸いも甘いも噛み分けた茶屋の女将さんの風情は、去年の顔見世の玉三郎なんかよりはあっただけに惜しいところ。
橋之助の治右衛門は男気のある主人の風情。
もしこの演目を見慣れていなければ、これはこれで一つのやり方かもしれないとは思う。でも私はちょっとついて行けない感じだったな。
土曜日は肌寒かったのに、日、月と天気が良くなったら汗ばむくらいの陽気。中村座へは駅から15分くらい歩かないといけないので、日差しが朝から強くて暑かった~。
今回、どちらかというと昼の部の方が目当て。橋之助の熊谷も、勘三郎の忠兵衛も初見なので。
一、一谷嫩軍記
熊谷陣屋(くまがいじんや)
熊谷直実 中村 橋之助
源義経 中村 獅 童
藤の方 坂東 新 悟
堤軍次 中村 萬太郎
弥陀六 坂東 彌十郎
相模 中村 扇 雀
橋之助の熊谷は、「芝翫型」という今では他にやる人のいない珍しい型。まず顔の色が赤っ面と言っても良いような色だったのでちょっとびっくり。普通歌舞伎でこういう色の顔だと悪役なんだもの。もちろん他の人の團十郎型でも白塗りではないがここまで赤くはない。何か理由があるのだろうが、番付もイヤフォンガイドも見聞きしていないので詳しくはわからない。
衣装も、黒のビロード地の着付けに錦の裃で、かなり派手な印象(首実検の場でも着替えない)。「阿古屋」の岩永に似ているので、途中の「物語」の場面などで岩永のように人形振りをするのではないかと妄想して可笑しかった。
台詞はそんなに変わらないと思うが、平山の呼びかけのところで後ろを向くなど物語の場面で動きはだいぶ違う。また特に目につくのは、首実検での有名な制札の見得が、普通は制札を下にするのを逆に上にしていること。
等々、つい違いを探して観てしまい、肝心の橋之助の演技に十分に目が行かないのがこういう珍しい型を観たときの困るところ。
橋之助はこういう大時代な化粧や衣装もよく似合い、やっぱりこの人は時代物がニンの人だな、と改めて思う。口跡もよく、物語ではこの型の方が動きが大きく派手だがきびきびと見せて気持ちいい。いちばん印象的だったのは、首実検の後相模に小次郎の首を渡すとき、それはそれは愛おしそうに辛そうに首を掻き抱いたときで、たとえば吉右衛門だと義経の手前、感情を押し殺す武将の苦しさが感じられるのに対し、素直に父親としての心痛を見せた形。これはこれですっと心に響くものはあり、納得できる。最後の花道の引っ込みまで集中力の高い緊張感のある舞台を見せて立派。芝翫型も、もっと他の人もやってもいい良い型だと思う。
相模は扇雀、父の藤十郎ほど母性愛溢れる、と言うわけではないが、落ち着きのある武士の妻らしいたたずまいを見せた。まだクドキの場面で所作の手順に追われている印象がぬぐえなかったが下旬にかけて手慣れてくればもっと良くなるだろう。
藤の方の新悟はさすがに色気は不足だが、品は良く丁寧に務めていた。
獅童の義経というのはニンじゃない。気品と貫禄に欠ける。
彌十郎 の弥陀六は手堅い出来。
二、新歌舞伎十八番の内
紅葉狩(もみじがり)
更科姫実は戸隠山の鬼女 中村 勘太郎
山神 中村 鶴 松
平維茂 中村 獅 童
勘太郎で観るのは二度目。何しろ踊りが上手い人だから、前半の姫として踊るところは品よく、それがだんだん鬼女の本性を現していくところの変化が、前回に増して自然になっていて巧い。後半の鬼女としては動きが大きく堂々としていてさすがに魅せた。
鶴松の山神がきびきびとした踊りを見せてなかなか立派。
獅童は、やっぱりこういう高貴な役は向いてないんだなあ。後半の鬼女との立ち回りも、踊りじゃなくて殺陣になってしまってる。もうちょっと基礎からがんばらないと。
幕切れで舞台の後が開くのだが、夜と違って舞台に昼日中の日射しが差し込むというのは正直言って興醒めな感じがした。せっかく舞台の幻想的な気分に浸っていたのが、いきなり現実に引き戻されたような、白々しい感じ。中村座特有のサービスのつもりだろうが、舞台効果としてはいただけない。
三、恋飛脚大和往来
封印切(ふういんきり)
亀屋忠兵衛 中村 勘三郎
丹波屋八右衛門 坂東 彌十郎
傾城梅川 中村 七之助
槌屋治右衛門 中村 橋之助
井筒屋おえん 中村 扇 雀
この忠兵衛を藤十郎や仁左衛門など上方役者でない人がやるのを初めて観た気がする。「上方和事」とは何か、なんていうはっきりした定義はわからないが、なんか違うよな~、と言う違和感がずっとあった。
おそらくいちばんの違いは台詞の運びや間のテンポ感。速すぎるのである。勘三郎だけでなく、七之助も、つられて扇雀までもが。だから、始めの三人のやりとりがポンポンと、良く言えば小気味よく進んでしまい、普通この芝居で観られるまったりとした可笑しさではなく、カラッとした江戸世話物のような笑いになっていて、おやおやという感じ。
それに加えて、勘三郎の悪い癖で、おかしみのある場面で受けを狙っているのが見え見えで、特に最初の花道の出のところなど、忠兵衛ではなく素の勘三郎が強く出てしまっているからなおいけない。確かに忠兵衛はお調子者のところのある考えの浅い男だが、あくまでも忠兵衛としてやってくれなくては、勘三郎のキャラで笑わされては困るのだ。
後半の封印を切るところなどはリアルな芝居に徹していて、次第に追い詰められていく苦しさ、幕切れにかけて悲愴さ哀れさを見せただけに、(もっともこのリアルさが、またこういう芝居では違和感があるのだが)、前半もっと工夫してほしいと思う。
彌十郎の八右衛門も、意地の悪いいけ好かない奴の雰囲気は上々だが、勘三郎との掛け合いでは如何せん上方漫才のような面白さは出ず、これは先ほど述べた勘三郎のリアルさのせいなのだが、ここは重苦しい展開を二人の掛け合いでおもしろ可笑しく見せてほしいところなのに、ただ重くなってしまって観ているのが辛い。
七之助の梅川は綺麗で以前よりずっと色気も出るようになったが、いじらしさや健気さというのが薄い。もっと儚げな雰囲気がほしいところ。
扇雀のおえんも一人上方から参加なのだからもっと持ち味を出してほしかったが、勘三郎のペースにはまってしまっていたのは残念。酸いも甘いも噛み分けた茶屋の女将さんの風情は、去年の顔見世の玉三郎なんかよりはあっただけに惜しいところ。
橋之助の治右衛門は男気のある主人の風情。
もしこの演目を見慣れていなければ、これはこれで一つのやり方かもしれないとは思う。でも私はちょっとついて行けない感じだったな。
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