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四月大歌舞伎・夜の部 [舞台]

4月21日 歌舞伎座

一・将軍江戸を去る
三津五郎の慶喜、橋之助の山岡鉄太郎、彌十郎の高橋伊勢守 

真山青果作の新歌舞伎。いかにも青果らしい理屈っぽい台詞に、やたら泣く男達、と言うお決まりのパターン。
三津五郎は威厳と品があり、台詞廻しもよく、苦悩のにじむ様子が立派。だが慶喜が謹慎中とはいえ月代を剃っていないと言うのは変に感じた。あれは青果の指示なのだろうか。
橋之助もいかにも熱血漢らしい様子があり上々。
彌十郎は頑張ってはいたが、将軍に意見する幕僚の重みはいささか不足気味。
だが正直言って、役者がどうのと言う以前に、この本自体に魅力がなく、今の世に上演する意義がさっぱり判らないのだが。
青果が生きていた時代だからこそ、勤皇と尊皇の違い云々などと言う台詞も意味があっただろうが、現代人には源平の争い以上に遠い話に感じられて仕方がない。
やっぱりどうも青果は苦手だ。

二・勧進帳
仁左衛門の弁慶、勘三郎の富樫左衛門、玉三郎の義経

仁左衛門の勧進帳の弁慶は20年以上前、孝夫時代に南座で一度見ている。実はそれが私にとって初めての「勧進帳」で、どうだったかなどは覚えていないのだが、たまたま隣に座っていた通っぽいおじいさんが「孝夫は弁慶には男前過ぎやねんけどなあ」と言っていたのが、妙に可笑しくて印象に残っている。

その仁左衛門の久々の弁慶は、動きの切れの良さ、表情の的確さ、台詞の緩急の良さ、どれを取っても隅々まで神経の行き届いたそれは立派な出来。特に良いのは、義経への敬愛の情が全編ににじんでいたことで、だからこその必死さであり、富樫への感謝であることがよく判る。
弁慶には確かに男前すぎて線も細いが、例えば成田屋などのは4WDでぐいぐい行くのに対し、いわば軽量スポーツカータイプで颯爽とした味の弁慶とでも言うところだろうか。

だがせっかくの仁左衛門の名演をぶち壊したのが勘三郎で、およそ富樫のイメージと程遠い。気持ちが入っているのはよく判るのだが、熱くなりすぎて問答のところなど叫ぶようになっていて興醒め。富樫にはもっと落ち着きと品がほしい。あれでは能吏と言うより血気にはやった若侍に見える。いや、演技の前にそもそもニンではないということだろう、もうあの発声が富樫に向いていない。第一声の「これは加賀の・・」を聞いて、ああ、これはダメだ、と感じてしまった。
玉三郎の義経も、品は良いものの、例によって能を意識しすぎていて、ふわふわと落ち着きの悪い台詞廻しに終始して、なんだか心ここにあらずで、見せ場の「判官御手を取り・・」のところでも弁慶への情もあまり感じられないのにはがっかり。


三・浮かれ心中
勘三郎の栄次郎、三津五郎の太助、時蔵のおすず、七之助の帚木、橋之助の清六、亀蔵の吾平、梅枝のお琴

井上ひさしの「手鎖心中」を舞台化したもので、再演らしいが私は初見。
勘三郎が、何とかして人の注目を集めようとする戯作者志望の若旦那を、これでもかこれでもか、と言わんばかりの馬鹿馬鹿しさで演じきっていて、これはこれで大したもの。こういう役にかけるサービス精神は、勘三郎の右に出る人はいない。歌舞伎としてどうなのか、とか難しいことを言うのも野暮と言うことだろう。

三津五郎の太助も勘三郎に負けじと笑いを取るが、こちらはさすがに歌舞伎の三枚目からはみ出していない。「籠釣瓶」の佐野次郎のパロディなど、本役で観てみたいと思わせるほど。
時蔵のおすずにおっとりした味がありほんのりした笑いを誘う。
七之助が美しい花魁姿を見せ、なかなか弾けた雰囲気が可笑しく憎めない可愛さがあって上々。
橋之助、亀蔵も持ち味を出して盛り上げ、梅枝もいつもの硬さがとれてなかなかよかった。

最後は栄次郎の幽霊(?)が、ねずみに乗って「ちゅう乗り」、紙吹雪はもちろん、紙テープ、手拭い、紙飛行機まで撒いていって幕。
タグ:歌舞伎
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