5月17日

実はこの日朝から病院で、胃カメラで胃の検査を受けました。先月受けた会社の健診のレントゲンで引っかかったのね。胃カメラなんて初めてだし、嫌だな~、と思って前の晩はいまいちよく眠れなくて。検査の結果は大したことなかったようですが、そんなこんなでちょっとお疲れモードで劇場へ。



一・新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)   
野崎村の段 文字久・富助、綱・清二郎、住・錦糸

油屋の段 咲甫・清志郎、咲・燕三

蔵場の段 松香・津國・文字栄・睦・つばさ・宗助

簑助のおみつ、清十郎の久松、紋寿のお染、勘十郎の小助、玉女の久作、和生のお庄、勘弥のお勝、玉也の勘六

野崎村と油屋の段は去年の正月公演でもやっているし、野崎村は去年12月に歌舞伎でもやったばかり。なんだかよく見るなあ、という感じ。

野崎村の段では、なんと言っても簑助のおみつが秀逸。前半では婚礼が決まったと浮き浮きするところへお染が登場して焼き餅を焼く様子が何とも田舎の娘らしい可愛らしさ。大根をきざんだり、鏡に向かって髪をなおしたり、はたまたお染につんけんしてみたり、といった動きがいかにもそわそわと落ち着きのない風情で、微笑を誘う。
一転、髪を下ろして出てきてからは、悲しみをこらえ、自分を犠牲にして久松とお染めを助けようといういじらしさがあふれ、また病気の母を気遣う様子にも哀れさがあって、前半との対比が素晴らしい。
よく考えたら何も尼にならなくてもいいじゃないか、とも思うのだが、そう思うことが馬鹿げている気になるような、おみつの存在感に圧倒されてただ涙するばかり。

義太夫も綱大夫と清二郎が浮き立つおみつと、お染久松の苦悩を明暗をくっきりと語り分けてさすがに上手い。
奥は住大夫がおみつの哀れ、周囲の嘆きをじっくりと聞かせていつもながら情の溢れる語りで泣かせる。

この段で歌舞伎より文楽がいいのは、おみつの母親が登場することで、目の見えない母がおみつの婚礼と聞いて喜んでいたのに、髪に触れて驚愕するところが本当に哀れで仕方がない。良い場面なのにどうして歌舞伎はカットしてしまうのだろう。

久作は玉女で、年寄り臭さはいまいちながら、情愛ある親父の様子。

油屋の段は、話が急展開するところで、チャリ場の部分もあり、野崎村とは全く違った趣。
咲甫と清志郎が小助の小悪党ぶりと勘六の柄の悪さを面白く聞かせ、切りでは咲大夫と燕三が、目まぐるしく話が変わる中で明らかになっていく人物関係や状況をメリハリの効いた語りできっちりと語った。

勘十郎が小助の滑稽さを剽軽な動きで魅せてさすがに上手い。
和生のお庄がしっかり者の乳母の様子。
玉也の勘六が乱暴者ながら、筋の通った男の様子でなかなか立派。

蔵場の段は、多くの人の努力も空しく、お染と久松が死を選ぶのだが、なんだかちょっとあっけない展開。心中(といっても手に手を取ってではないが)ものの狂言なんてたいがい、今の感覚では「なんで死ななきゃならないの?」と思ってしまうのだが、これもその一つ。
特にイライラするのが久松で、養父の久作や乳母のお庄などが一生懸命なのに、自分はなんにもしないでお染といちゃついたあげくに死んじゃう(苦笑)、はっきり言って恩知らずの若造。
その久松は清十郎で、おっとりとした二枚目の風情。
お染は紋寿で、こちらはお嬢さんらしいはんなりとした愛らしさ。

普通の心中物の道行のような連れ弾きではないので、幕切れはちょっと寂しい。

二・団子売(だんごうり)
南都・咲甫他、靖・咲寿他
幸助の杵造、一輔のお臼
湿っぽい前の狂言の後、打ち出しの演目は口直しに明るく元気に、というところ。ほんとは正月の演目なんだけどね。大勢で賑やかに楽しく見せて気分直しに良い演目。