7月12日 新橋演舞場
梅雨の真っ最中。気温よりも湿気がすごくて不快指数がとても高く感じられる。演舞場ってそれほど冷房が効いていないのか、席についてもなかなか汗が引かず、開演後もしばらく扇子を使う羽目に。そういえば、7,8月に演舞場に来たことがなかった。歌舞伎座は駅からすぐだったけど、演舞場はちょっと歩かないといけない。こんな雨の日や真夏のカンカン照りの日は辛いかも~。
去年まで歌舞伎座の7月は玉三郎と猿之助一門の鏡花ものなど「ナンチャッテ歌舞伎(?)」公演ということが多く、思えば7月に東京で大歌舞伎を見るのは久しぶりということになる。
一、名月八幡祭(めいげつはちまんまつり)
縮屋新助 三津五郎
芸者美代吉 福 助
船頭三次 歌 昇
松本女房おつた 歌 江
幇間寿鶴 寿 猿
魚惣女房お竹 右之助
藤岡慶十郎 歌 六
魚惣 段四郎
ずいぶん昔に八十助時代の三津五郎と福助で見た記憶があって、公演記録で確認すると95年の大阪中座でのときらしい。なんとなく筋は覚えていたが、細かいことはすっかり忘れていて、前回との比較はできない。
作者の池田大悟は「マノン・レスコー」を念頭に置いて書いたそうだが、ストーリー的には「カルメン」だな、などと思いながら見ていた。まじめ一筋の男が女で誤って、逆上して殺してしまう。そっくりでしょ。
福助はこういう自堕落で蓮っ葉な女をやらせたら右に出る人はいないだろう。その時その時の自分の気持ちに正直で、自分では嘘を言うつもりはなかったのに、結果的に人を裏切っていくタイプの、まあどうしようもない女。何で男ってこういうのに引っかかっちゃうのかしらね。
福助はそういう美代吉を、計算高い嫌味な女ではなく、根っからの悪女ではないのだが頭も尻も軽いお馬鹿さんとして(ここらがマノンなのかも)作り上げることに成功している。
この人は笑うと変に顔がゆがむことがあって、時代物では大きな傷だが、この役に限ってはかえってマッチしているから面白い。
しかし、お姫様よりこういう役が似合う立女形って、どうなの。
三津五郎の新助もはまり役。無骨な田舎者で、美代吉にのぼせ上がって見境をなくしてしまう気の毒な男を、傍から見れば笑えるようなしぐさも混ぜて好演。だまされたと知って失意のどん底に落とされた様子が哀れで、終幕狂気に取り付かれた姿に不気味さと空恐ろしさを見せて秀逸。
歌昇の三次はニンではなさそうだがやくざな江戸っ子の風情は出て上手い。
段四郎の魚惣が、まだせりふは怪しそうだったが、人のいい親父の雰囲気はさすが。
歌六の藤岡も懐の深い、鷹揚な侍の風情。
本水を使った、雨の中での殺しは凄惨だが、その後祭りの衆が新助を捕らえてまるでみこしのように担いで去っていくのや、幕切れの誰もいなくなった舞台に月が昇って幕が引かれる演出が斬新で、本来後味の悪い芝居をすっきりと見せた。
二・六歌仙容彩
文屋(ぶんや)
文屋康秀 富十郎
今月はこれだけの出番の富十郎。短くてもったいないけど、軽妙で洒脱な踊りはさすがで、明るく楽しい舞台。膝の具合も心配だし、お歳もお歳だし、そりゃあ昔のような超人的な踊りではないかもしれないけれど、文屋らしい滑稽さと、色好みとはいえ下品に落ちない味わいをしっかり堪能させてくれるのは若手にはない芸。
三、祇園祭礼信仰記
金閣寺(きんかくじ)
此下東吉実は真柴久吉 吉右衛門
松永大膳 團十郎
雪姫 福 助
松永鬼藤太 権十郎
山下主水 桂 三
内海三郎 吉之助
戸田隼人 種太郎
春川左近 由次郎
十河軍平実は佐藤虎之助正清 歌 六
慶寿院尼 東 蔵
狩野之介直信 芝 翫
去年は吉右衛門の大膳、芝雀の雪姫で上演された。今回は吉右衛門が久吉に回って、團十郎の大膳、という今までありそうでなかった組み合わせ。
まず團十郎は、国崩しの大悪人ながら、あまり影を感じさせない、おおらかさと愛嬌も感じられるこの人らしい大膳。こせこせしない大物振りがさすがに立派。
対する吉右衛門も、前半では知恵者ぶりを涼やかに見せ、後半は颯爽とした武者の様子が堂々として心地良く魅せた。でも個人的には去年の大膳のほうが面白かったな。
福助の雪姫は品もよく美しくなかなかの出来。大膳に切りつけるところなども懸命さを見せ、爪先鼠のところでは儚げな哀れさを見せた。ここで上から降ってくる花びらが最近はどばっと落ちてくる演出が多いが、今回は割と少な目だった。これくらいで十分じゃない?
芝翫 が狩野之介で付き合う。短い場面ながら気品を見せてさすがに存在感十分。
東蔵の慶寿院尼も手に入った雰囲気。
権十郎の鬼藤太に赤っ面らしいやんちゃな味。
歌六の軍平というのは、本来歌昇の役だと思うが、何でもこなす人らしく手堅い雰囲気。
梅雨の真っ最中。気温よりも湿気がすごくて不快指数がとても高く感じられる。演舞場ってそれほど冷房が効いていないのか、席についてもなかなか汗が引かず、開演後もしばらく扇子を使う羽目に。そういえば、7,8月に演舞場に来たことがなかった。歌舞伎座は駅からすぐだったけど、演舞場はちょっと歩かないといけない。こんな雨の日や真夏のカンカン照りの日は辛いかも~。
去年まで歌舞伎座の7月は玉三郎と猿之助一門の鏡花ものなど「ナンチャッテ歌舞伎(?)」公演ということが多く、思えば7月に東京で大歌舞伎を見るのは久しぶりということになる。
一、名月八幡祭(めいげつはちまんまつり)
縮屋新助 三津五郎
芸者美代吉 福 助
船頭三次 歌 昇
松本女房おつた 歌 江
幇間寿鶴 寿 猿
魚惣女房お竹 右之助
藤岡慶十郎 歌 六
魚惣 段四郎
ずいぶん昔に八十助時代の三津五郎と福助で見た記憶があって、公演記録で確認すると95年の大阪中座でのときらしい。なんとなく筋は覚えていたが、細かいことはすっかり忘れていて、前回との比較はできない。
作者の池田大悟は「マノン・レスコー」を念頭に置いて書いたそうだが、ストーリー的には「カルメン」だな、などと思いながら見ていた。まじめ一筋の男が女で誤って、逆上して殺してしまう。そっくりでしょ。
福助はこういう自堕落で蓮っ葉な女をやらせたら右に出る人はいないだろう。その時その時の自分の気持ちに正直で、自分では嘘を言うつもりはなかったのに、結果的に人を裏切っていくタイプの、まあどうしようもない女。何で男ってこういうのに引っかかっちゃうのかしらね。
福助はそういう美代吉を、計算高い嫌味な女ではなく、根っからの悪女ではないのだが頭も尻も軽いお馬鹿さんとして(ここらがマノンなのかも)作り上げることに成功している。
この人は笑うと変に顔がゆがむことがあって、時代物では大きな傷だが、この役に限ってはかえってマッチしているから面白い。
しかし、お姫様よりこういう役が似合う立女形って、どうなの。
三津五郎の新助もはまり役。無骨な田舎者で、美代吉にのぼせ上がって見境をなくしてしまう気の毒な男を、傍から見れば笑えるようなしぐさも混ぜて好演。だまされたと知って失意のどん底に落とされた様子が哀れで、終幕狂気に取り付かれた姿に不気味さと空恐ろしさを見せて秀逸。
歌昇の三次はニンではなさそうだがやくざな江戸っ子の風情は出て上手い。
段四郎の魚惣が、まだせりふは怪しそうだったが、人のいい親父の雰囲気はさすが。
歌六の藤岡も懐の深い、鷹揚な侍の風情。
本水を使った、雨の中での殺しは凄惨だが、その後祭りの衆が新助を捕らえてまるでみこしのように担いで去っていくのや、幕切れの誰もいなくなった舞台に月が昇って幕が引かれる演出が斬新で、本来後味の悪い芝居をすっきりと見せた。
二・六歌仙容彩
文屋(ぶんや)
文屋康秀 富十郎
今月はこれだけの出番の富十郎。短くてもったいないけど、軽妙で洒脱な踊りはさすがで、明るく楽しい舞台。膝の具合も心配だし、お歳もお歳だし、そりゃあ昔のような超人的な踊りではないかもしれないけれど、文屋らしい滑稽さと、色好みとはいえ下品に落ちない味わいをしっかり堪能させてくれるのは若手にはない芸。
三、祇園祭礼信仰記
金閣寺(きんかくじ)
此下東吉実は真柴久吉 吉右衛門
松永大膳 團十郎
雪姫 福 助
松永鬼藤太 権十郎
山下主水 桂 三
内海三郎 吉之助
戸田隼人 種太郎
春川左近 由次郎
十河軍平実は佐藤虎之助正清 歌 六
慶寿院尼 東 蔵
狩野之介直信 芝 翫
去年は吉右衛門の大膳、芝雀の雪姫で上演された。今回は吉右衛門が久吉に回って、團十郎の大膳、という今までありそうでなかった組み合わせ。
まず團十郎は、国崩しの大悪人ながら、あまり影を感じさせない、おおらかさと愛嬌も感じられるこの人らしい大膳。こせこせしない大物振りがさすがに立派。
対する吉右衛門も、前半では知恵者ぶりを涼やかに見せ、後半は颯爽とした武者の様子が堂々として心地良く魅せた。でも個人的には去年の大膳のほうが面白かったな。
福助の雪姫は品もよく美しくなかなかの出来。大膳に切りつけるところなども懸命さを見せ、爪先鼠のところでは儚げな哀れさを見せた。ここで上から降ってくる花びらが最近はどばっと落ちてくる演出が多いが、今回は割と少な目だった。これくらいで十分じゃない?
芝翫 が狩野之介で付き合う。短い場面ながら気品を見せてさすがに存在感十分。
東蔵の慶寿院尼も手に入った雰囲気。
権十郎の鬼藤太に赤っ面らしいやんちゃな味。
歌六の軍平というのは、本来歌昇の役だと思うが、何でもこなす人らしく手堅い雰囲気。