5月30日
損保ジャパン美術館
http://www.sompo-japan.co.jp/museum/exevit/index.html

休日に会社のある新宿へ行くのは気が進まない。なのでこの美術館には、たいてい金曜日の夜間開館時に行くのだが、このところちょっとお疲れモードで仕事帰りに行く元気がなく、また他に買い物のついでもあったので日曜に出かけることにした。

日曜日の午後にしてはそれほど混んでいなかった。私が若い頃は、ユトリロはすごく人気があったがこの頃はそれほど話題にならないような気がするのは気のせいか。そういえば高校時代の友人でユトリロ大好きという子がいたなあ。私は同じパリの風景画なら、荻須の方が好きだったけど。

今回の出品作は、すべてある個人収集家のものだそうで、本邦初公開というのも注目点。

ユトリロと言えば、パリなどの街角の景色を穏やかな色彩で描いた画家、という印象だが、その人生はかなり悲惨。
悲惨と言っても、ゴッホやゴーギャンのように絵が売れなくて貧乏のうちに死んだ、というのとは違う。正反対に、絵は若い頃から売れて、生前にレジオン・ドヌール勲章まで貰っているのだから、画家としては成功したのだ。
だが若い頃(というか、中学生の頃から!)アルコール中毒で、絵を描き始めたのもその治療のため。
(余談だが、近頃はアルコール依存症という言い方をするが、「症」というのは病気のことで、病気は本人の意思とは関係なく発症するもので、アルコール、麻薬やニコチンの依存症というのはその点病気ではないと思っている。依存症などと生温い言い方をするのはいかがかとさえ思うくらい。そう言えばタイガー・ウッズのセックス依存症なんてのもあったっけ。あれはビョーキか?)

絵が売れ出すと、奔放な母とその再婚相手(自分より年下!)の贅沢を支えるために、アル中のせいで檻のついた部屋に監禁されて絵を描き続け、50歳を過ぎて結婚してもまたその相手(10歳以上年上の、コレクターだった未亡人)に同じように支配されて絵を描いた。これが悲惨でなくてなんだろう。現代なら人権問題になりそうだが、当時はそんなことを考える人はいなかったのだろうか。何より本人が嫌なら逃げ出せば良さそうだが、それもできなかったのか。友人とか画商とか何とかしてあげようと言う人もいなかったのかしら。結婚後住んだ屋敷の塀の中から「助けて」と書いた紙で石をくるんで外に投げていた、というエピソードもあって、胸が締め付けられる思いがした。

「マキ、モンマルトル(1928)」

なのに彼の描く絵は、そんな悲惨さは感じさせない、穏やかで静謐さのあるものばかり。怒りや憎悪など全然感じられない。でもその描かれた街角は、やっぱりちょっと寂しげでもあり、通行人は描かれているもののほとんど表情はわからない絵ばかりなのは、人間嫌いだったのだろうか。檻の中で、絵はがきを見ながら描いた風景。一体どんな思いで描いていたのだろう。それとも絵を描いているときは幸せだったのだろうか。

「サクレ=クール寺院、モンマルトル(1945)」

「白の時代」「色彩の時代」など大体年代順の展示だが、描かれている対称が似通っているせいか、時代による違いをそうはっきりとは感じなかった。上にあげた二枚も20年近く隔たっているが、印象としてはあまり変わらない感じ。言い換えれば技術的にも、生活環境からくる精神面も、変化がなかったということかと思うと、なんだかやるせない。このモンマルトルの景色の向こうに画家は何を見ていたのだろう。