3月9日
東京国立近代美術館
http://www.momat.go.jp/Honkan/ono_chikkyo/index.html#detail



昨年が生誕120年記念の展覧会。
氷雨の降る寒い平日だったためか、とっても空いていて、等伯展に比べると混雑率100分の1くらい(?)。なにしろ各展示室に数人ずつしか人がいない。おかげでそれはそれはゆっくりじっくり拝見することが出来ました。等伯展もこんなだったら良かったのにねえ。

竹喬は89才まで長生きした人。画家に限らず芸術家には晩成型と早熟型がいるが竹喬は前者かな、と思う。もちろん若い頃から日展に入選するなどその才能は認められて活躍もしていた。でも少なくとも私の好みから言うと、前半生の絵は写実にこだわって日本画の技法で西洋風の風景画に取り組んだため、なんというかいささか風通しの悪い密度の高い絵になっていて、技量はともかくとしてあんまり面白く感じられなかった。


例えばこの「島二作」(1916)。隅々まで描き込まれているのが、江戸時代の日本画と違って新しいと言えば言えるけど、見てしんどい感じ。なんだかのっぺりしているし。

画風が変わってくるのは50代になってからで、写実から少し離れて、色合いも明るくなり、いい具合に力の抜けた優しい画風になったのが面白い。雰囲気で言うと福田平八郎に近いかもしれない。


「黎明」(1960)
実物はもっと濃い青だったんだけど。単純化された枝にぽつりぽつりとついた芽吹き。夜明けと芽生えと、二つの新生を描いた絵。


「宿雪」(1966)
春先、木々の根元から雪がとけていく様子。樹の色がそれぞれ違っていてデザイン性の高い一枚。
この絵、チラシには載っていたのに絵はがきはなし。気に入ったのに、なんで~?


「野辺」(1967)
70才近くになってこういうまるで童画のような優しい絵を描く。
晩年の画家と交流があったという玉三郎さんのインタビューが新聞に載っていたが、優しくて気張らない静かなお人柄だったとか。


晩年には芭蕉の奥の細道を題材にした連作を描いている。
これはその一つ「まゆはきを俤にして紅粉の花」
チラシの絵は「田一枚植ゑて立ち去る柳かな」(ともに1976)
句の解釈は人それぞれだけど、心象風景を思い切り単純化した美しい絵。


「彩雪」(1978)
亡くなる前の年の作品。89才にしてこのみずみずしい色彩。

もしも竹喬が50才くらいで亡くなっていたら、たぶん今それほど人気がないんじゃないかしら。少なくとも私は前半の絵だけだったら展覧会にも足を運ばなかったと思う。でも後半の絵は、どれも穏やかで優しい、そして繊細な色使いがとても素敵で、見応えがあった。解説を読んでも何を契機にしてこう変わったのかはわからなかったけれど、芸術家の変遷って面白い。
派手さはないけれど、すーっと心に入ってくるあたたかい絵が多い、充実した展覧会。