2月24日
東京国立博物館
http://www.tohaku400th.jp/index.html

前日から始まったばかりの展覧会。平日の休みを利用して早速足を運んだ。なにしろ会期が1ヶ月しかないから、早く行かないと混雑は必至。この日はさすがにまだそれほどでもなくて、ゆっくり見られてよかったです。

今年が没後400年となるのを記念しての大回顧展。美術館、博物館所蔵のものはもとより、寺院などの宝物も出品されているのであまり長い会期に出来なかったのかな?

展示は完全な年代順というわけではないが、初めはまだ出身地の能登にいて、名前も信春と名乗っていた頃の作品が並ぶ。この頃は主に仏画を描いていたようで、既に高い技術を持っていたことがわかる。


「善女龍王像」
保存状態がいまいちだが、善女のおだやかな表情と繊細な衣装、迫力ある龍王の描写が後の絵を予感させる、小ぶりだが美しい絵。

能登から京に上ったのは30代。この後の消息がまだよくわかっていないと言うが、信春から等伯に名を改めての最初の大作が京都大徳寺山門の天井画。会場ではレプリカを展示していたが、それはすごい迫力。天井だけでなく、柱には仁王像も描いており、力漲る様子がすごい。

なお大徳寺ではこの山門を非公開にしているので、実物を見ることはできない。今回この会場でほぼ実物大のレプリカを見られるのはうれしい。

この後京の画壇で名を高めた等伯は、名門狩野家と競いながら活躍することになる。世は桃山時代、金碧画全盛の頃。この時代の代表作が智積院の障壁画。智積院はもとは秀吉が早世した息子の鶴松の菩提を弔うために建てた祥雲寺。その寺の内装を担ったのだから、この頃等伯が相応の地位を得ていたことを示していて、絵にもその自信が漲るよう。

チラシの絵が「楓図壁貼付」(部分)

「松に秋草図屏風」(部分)
大胆に金箔を遣い、楓や松の太い幹をでんと配してその周りに繊細な草花を散らす構図の妙。奥行きを感じさせない「大和絵」という手法らしいが、決してのっぺりとはしない。華やかで克つ重量感があって。上手いねえ。


「萩芒図屏風」(部分)相国寺
こうなってくるとかなり後の琳派に近い感じも。きらびやかさと細密さが同居する。


「柳橋水車図屏風」(右双)
長谷川派のヒット作として、類似作が20点を超えるという。確かにどこかで見たことがある図柄だ。
柳、橋、水車(左双に描写)、蛇籠、と来れば中世の人は宇治橋を連想したという。宇治橋の向こうは平等院で浄土の世界。浄土信仰を反映しての絢爛たる屏風絵。

そしてこういう絢爛豪華な絵を描いていた人が、晩年は水墨画に関心を移すというのが面白い。


「竹虎図屏風」(右双)これは前に出光美術館でも見たもの。等伯の動物の絵では猿が人気だがこの虎もなかなかのもの。


そうして展覧会の最後を飾るのが国宝「松林図屏風」。
早い筆捌きでざざっと描かれたかのような松の樹を濃淡で配することで、奥行きと樹間に漂う霧や空気まで感じさせる、日本の水墨画の最高峰とうたわれる作品。空気のような見えないものを描かないことで表現するというすごさ。だが謎も多く、いつ誰のために描かれたのかも不明で、また最初から屏風だったのではなく下絵だったという説もあり、左右が逆の可能性もあるという。

現在は東京国立博物館の所蔵だが、それ以前の来歴などは図録にも書かれておらず、どこの寺院、あるいは大名家などが所持していたのか気になる。イメージとしては禅寺などにあったらぴったりの雰囲気だけど。

理想を言えば、誰もいない部屋で一人静かに対峙してみてみたい絵。

狩野派と競い、一代で画壇に確固たる地位を築きながら、期待した息子に先立たれるなどの不幸にも見舞われた等伯。元々篤い法華宗徒であったのがさらに信仰が深まったのは必然で、今回の展示作品にも巨大な涅槃図などもある。成功の陰での悲しみが絵にも複雑な色を添えただろう。
日本の絵師の中でもこれだけいろいろな絵をしかもどれも高水準で描き分けた人はそうはいない。
とにかく仏画から金碧画、水墨画と多岐にわたった画業を一覧できる貴重な機会。東博や出光美術館などのものはまた見ることもあるだろうけれど、各地の寺院のものはそこへ行ってもいつも見られるわけでもないだろうし、ぜひぜひお見逃しなく。

なお、会場で手に入れた毎日新聞の特集号に、等伯の大ファンという吉右衛門様のインタビューが載っていて、等伯を主人公にした歌舞伎を構想しているという。いいなあ、それ。絶対実現していただきたいです!