1月17日 浅草公会堂



すっかりお正月恒例となった浅草での花形公演。去年は松也や巳之助が参加して若返り(?)がはかられたようだったが、今年はまたもとのメンバー。(ただし獅童は演舞場に出演中でいない。)人数がまた少なくなって演目立てには苦労してる様子。

第一部のお年玉ご挨拶は愛之助。この頃はマイクを持って客席に下りてくるのが恒例になったのか、愛之助もお客さんにインタビューなどしていた。

一・正札附根元草摺
亀治郎の曽我五郎、勘太郎の小林朝比奈
チラシをよく見ていなくて、てっきり勘太郎の五郎と亀治郎の舞鶴だと思っていた。あら、舞鶴じゃなくて朝比奈なのね。このパターン珍しいかも。
浅草公会堂はセリがないようで、普通はこの演目だと二人が舞台中央にせり上がってくるが、どうするのかと思っていたら、鳴り物の人たちの台が左右に割れて、奥から台に乗った二人が前に出てくる形だった。
同じ「草摺」でも、五郎と舞鶴だと男女だが、朝比奈とだと当然男二人の舞踊になるので趣が全く違う。
朝比奈は「対面」の時同様赤隈をとった勇猛な姿で、衣装もすごく着込んでいるのでこの姿で踊るのは大変そう。勘太郎はさすがに踊りは上手いが、この役のユーモラスな感じは今ひとつ。
亀治郎はすっきりとした二枚目の風情で、この人も踊りは達者。でも五郎という荒事の二枚目の勢いのようなものが薄い。
要は二人とも踊りは出来ても芝居の部分がまだまだと言うことか。見た目は華やかでお正月らしくて良い演目なんだけどね。

二・元禄忠臣蔵 御浜御殿綱豊卿
愛之助の綱豊、亀治郎の富森助右衛門、七之助のお喜世、亀鶴の江島、男女蔵の新井勘解由
このメンバーで、浅草歌舞伎で上演するにはかなり挑戦的な演目ではなかったかと思う。型だけ、勢いだけ、見た目の美しさだけでどうにかなるものではないからである。みんな、特に愛之助と亀治郎はそれはそれは頑張ってるのはよくわかる。でもね。

愛之助は例によって仁左衛門直伝の役作りで、台詞廻しも所作も(なぜか顔も)そっくり。この人の不思議なところはこれだけ似せているのにそれが嫌味に見えないところだ。言っちゃなんだが例えば右近の猿之助写しにはげんなりするが、この人ではそれがない。その嫌味のなさ、真っ直ぐさがこの人の持ち味であるが故に、この綱豊のような複雑でいささか鬱屈した性格を表すにはまだ無理があると言うことだろう。でもいかにもお殿様らしい品があるのはさすがで、将来は持ち役にできそう。

亀治郎の方はまさしく真っ向勝負で、やや直情径行な助右衛門を懸命に演じていたが、いささか神経質な感じ。そして台詞が、上手く説明できないのだが、「歌舞伎らしくない」気がして仕方がなかった。例えば、そのままテレビや映画でやっても違和感がないような。青果のような「新歌舞伎」を「歌舞伎」らしくやるいちばんの難しさがこれだと思う。時代物のような型があるわけではなし、かといって現代劇のように普通にしゃべってもらっても困るのだ。だからどう違うんだ、と聞かれると困るのだが、でもやっぱり歌舞伎らしい台詞廻しというのがあるような気がする。亀治郎は立ち役では踊りはともかくこういう台詞劇はあまり経験がないと思うので、ここがこれからいちばん勉強がいるところかもしれない。

七之助は楚々とした雰囲気はよいが、寵愛されている側女という可愛らしさや色気が不足。
亀鶴の江島というのは意表をつかれたが、化粧や所作に不慣れさはあるものの、大名家の祐筆らしいきりっとした味があって収穫。ほんと器用な人だわ。
男女蔵の勘解由は老け役で気の毒。精一杯学者らしい貫禄を出そうと頑張っていたけれど、さすがにちょっと無理がある。第二部でもそうだが、男女ちゃんにももうちょっと年相応の役をやらせてあげて欲しいなあ。

三・忍夜恋曲者 将門
七之助の傾城如月・実は滝夜叉姫、勘太郎の大宅太郎光圀
セリもスッポンもない舞台でどうやるのかなあ、と思っていたが、滝夜叉姫の登場の時はいったん舞台を暗くして、面灯りを出すなど工夫してしのいでいた。
七之助は踊りは丁寧に踊っていてきれいだが、傾城と名乗って光圀を色仕掛けで落とそうとするような妖艶さが不足だし、本性を顕わしてからも凄みがない。なんとか型をなぞるのに精一杯という風で余裕がないのは観ていて辛い。
勘太郎の方は凛々しさもあり、勇壮な武者振りが似合ってなかなか立派。
最後は蝦蟇もちゃんと出てきて、館が崩れるのも歌舞伎座ほど大がかりではないがなんとかそれらしく見せていた。