1月26日 歌舞伎座

ついこの間年が明けたと思ったのにもう月末近い。歌舞伎座の今月の公演も明日は千秋楽。平日だがほぼ満員の盛況ぶり。

一・祝初春式三番叟
富十郎の翁、松緑と菊之助の千歳、梅玉の三番叟、松江と錦之助の後見
幕が上がると大きな松の絵を背景とした松羽目の舞台。まず裃後見の二人が出てきて客席に向かい一礼するのだが、何か口上でも述べるのかと思ったら何もなく(まあ、三番叟だから普通はないか)、その後もわざわざ松江と錦之助が出なければならないようなこともなく、何だかもったいないなあという感じ。

富十郎がさすがに品のある姿で、また良く通る朗々とした声での台詞が心地よい。いわば祝詞のような趣で、このお声でこういう台詞を聞くととてもありがたい気分になった。

翁が引っ込むと、背景の絵が鶴に替わったが、千歳の二人、三番叟とも、踊りとしてはそれほどの見所はなく、いずれも行儀良く舞納めたというところ。正直言うと、千歳にはもう少し見映えのする舞を見せて欲しかったなあ、という気がした。まあ、もうとっくに松も取れているが、新年の幕開けにはふさわしい厳かな雰囲気ではあったが、面白かったかというと、それほどでも、というところ。

二・平家女護島 俊寛
幸四郎の俊寛、染五郎の成経、歌六の康頼、芝雀の千鳥、彦三郎の瀬尾太郎、梅玉の丹左衛門

幸四郎の俊寛は一昨年の国立劇場公演でも観ている。今日観ながら、どこが違うというわけでもないが今回の方がいいな、と感じたのは劇場の違いもあるかもと思った。前から思っているのだが、何となく国立劇場の空間が義太夫狂言に向いてないような気がするのだ。間口はそれほど違わないと思うが、造りが近代的だからなのか。でも松竹座などの方が新しいのにそんな風には感じない。私だけですかね、こう思っているのは。

それはともかく、幸四郎の時代物の中ではこの俊寛はうまく行ってる方だと思う。細かく丁寧に俊寛の心理を追って描写していく彼一流のやり方が、他の義太夫ものほどの違和感を与えないからである。だがそういうリアルさだけでは表現しきれないものもあるのが芝居であって、特に最後の最後、島に一人取り残された俊寛が、「おおい、おおい」と叫びながら船を見送る、その悲しみとも絶望ともつかぬ茫然自失の様を見せるには、幸四郎の動きはあまりに「芝居がかっている」ように感じられて、やっぱり泣かせるところまでは行かないのが何とももどかしいのである。結局、頭で計算して演じているのが観客に見えてしまう、ということだろうか。一生懸命やっているのはわかるだけに、損な人だなあ、と思ってしまった。

千鳥の芝雀は、前回幸四郎とやったときは海女にしてはお上品かな、と思ったが今回はそれほどでもなく(もちろん品が悪いと言うことではない)、可愛さいじらしさがよく見えてさすがに立派。なんと言っても、一人になったときのクドキに切なさ哀れさがあって、この芝居でいちばん涙を誘われた。
染五郎の成経も、「(千鳥が船に乗れないなら)自分も乗らない」と言うところで、真っ直ぐな青年らしさを見せてなかなか。
歌六の康頼も過不足ない様子。
梅玉の丹左衛門は手に入った役。颯爽とした捌き役が気持ちよい。
この一座でどうかと思った彦三郎の瀬尾太郎も、意外と言っては失礼だが、なかなか憎々しげな様子を見せて存在感を示した。この頃ほんとに台詞廻しがお父さんに似てきたなあ。

三・十六夜清心
菊五郎の清心、時蔵の十六夜、梅枝の求女、吉右衛門の俳諧師白蓮、歌昇の船頭三次
前に観たのは仁左衛門と玉三郎のコンビだったかと思う。仁左衛門が前半はいかにも清廉な僧が(とは言っても女犯の罪は犯しているのだが)ふとしたきっかけで悪に手を染めてしまう怖さ、というようだったのに対し、菊五郎の清心は心中する前から何となく優柔不断で、水に飛び込んではみたものの、ほんとは死ぬ気なんかなかったんじゃないかと思わせる雰囲気がある。だからある意味その後の求女殺しに至る流れは自然で無理がない。もちろん最初から殺すつもりはなかったにしても、大して逡巡せずに気がついたら悪人になっちゃったという風なのが面白かった。水から上がった後のコミカルさはこの人らしい軽妙な可笑しさ。

時蔵の十六夜も、遊女にしては楚々とした雰囲気だが、この人らしい清潔な色気があり、思い詰めた様子に芯の強さを感じさせ、白蓮に助けられた後に心根の良さを見せた。
梅枝の求女が品の良い若衆ぶり。
吉右衛門の白蓮はごちそう。短い出番だが、歌昇との息もあって、濃厚な江戸の雰囲気を感じさせ、十六夜を助ける場面で懐の大きさも見せて舞台を大きくしたのはさすがに立派。
歌昇の船頭も江戸っ子の船頭らしいきりっとした風情が出てなかなか。

四・鷺娘
玉三郎の鷺の精
久しぶりに観た演目。踊りはもちろん衣装にも玉三郎の美が凝縮されたような幻想的な舞台。いつも通り、顔つきは無表情で冷たいのだが、まあこの演目ではそれも良しとしておこうか。でもやっぱり私は玉三郎の踊りは苦手だ。誰よりも美しいのは認めるけれど、観ていて楽しい気分になれない。何だか観る者の感情移入を拒んでいるような気がするのよね。