7月18日 国立劇場

いつも通り休みの日の昼の公演を取ろうと思ったが、団体が入っているのか良い席がなく、平日夜の「社会人のための歌舞伎鑑賞教室」に行くことにした。仕事帰りに演奏会に行くことはあっても、歌舞伎に行ったことはなかったので、ちょっと変な感じではある。
ほぼ満席のようだったが、当たり前だが学生や子供はいないので、落ち着いた雰囲気。でも普通の公演のように大向こうもいらした。やっぱり歌舞伎で大向こうがかからないと、なんだか物足りないのよね。

「歌舞伎のみかた」の解説は宗之助。
はじめに廻り舞台とせりが動いて、そこに乗っていた狐が花道のスッポンに姿を消すと、入れ替わりに宗之助が登場。
上手下手や花道、御簾と黒御簾など劇場の構造を主に説明していたが、まあ割と型どおり。
珍しかったのは、後の芝居に絡んで、鼓の造りなどを説明してくれたこと。皮が馬のものとは知らなかった。

義経千本桜 河連法眼館の場
歌昇の佐藤忠信・源九郎狐、高麗蔵の静御前、種太郎の義経

どうでも良いことだが、河連なのか川連なのか、どっちがほんとなのだろう。なんて普段気にしないことに気がついたのは、この鑑賞教室では河連だが、今月の歌舞伎座のチラシなどでは川連だから。音羽屋型と澤瀉屋型の違いのせいだろうか?

法眼の館への戻りから見せる丁寧なかたち。
まず登場する義経は種太郎だが、さすがに御大将の存在感や気品を表すのはまだ無理があるよう。だが丁寧に一生懸命やっているのは伝わったので、さらに勉強していただきたい。

高麗蔵の静は、程良い色気と品があったのは上々。だが最初に花道を登場してくるところなど、久しぶりに義経に会えるうれしさが歩き方などにまったく表れていなかったのは残念。あそこはもっといそいそと、ほんとは走り出したいくらい、と言う風情が見えないと。その後も、義経への愛情、源九郎狐への同情もともにあまり感じられない、表面的な芝居に止まっていたように感じてしまった。なんだか、情の薄い静だな~、と。もうちょっとかわいげや優しさを見せた方がいいように思うのだが。

歌昇は普段から演技力には定評のある人ではあり、今回のお役も期待通り。
やはり特に優れていたのは本物の忠信の方で、花道の出から落ち着きと風格を見せる。特に印象的だったのは、後から静ともう一人の忠信が来たというので、亀井六郎が探りに行った後をじっと見込むところの表情に厳しさと疑念が表れて、とてもいい顔だった。
後半、源九郎狐となってからは、さすがにアクロバティックな動きではちょっと辛そうだなと思わないでもなかったが、この人らしい明朗な台詞廻しで狐言葉も上手く聞かせ、親へ寄せる情を見せて上々。ただ、義経に初音の鼓を与えられたところなどは、もう少し喜びをいっぱいに見せても、という気もしたが、もうあの辺まで来るとお疲れかなあ。いささか余裕がないように見えたのは残念。
こういう芝居を見ると、歌昇には歌舞伎座の本公演でももっと大きな役が付いてもいいのに、と改めて感じてしまった。

途中、源九郎狐の登場の際、揚げ幕で「出があるよ!」という声がするのはお決まりだが、つられてそちらを見るお客さんが随分多かったのは鑑賞教室らしくて、ちょっと面白かった。
最後に出てくる荒法師が三人だけというのは、ちょっと寂しすぎる。まあ今月は巡業に出ている役者も多いし、鑑賞教室では予算が少なくて人数を多く出せないのかもしれないが…。

全体的に、主演の三人をはじめ、いささか抑え気味というか、お行儀が良すぎる感がなくもない舞台だったのは鑑賞教室だからだろうか。