4月26日

いよいよ私にとって歌舞伎座最後の日がやってきました。
歌舞伎を見始めてからは20年以上になりますが、歌舞伎座とのお付き合いは東京に引っ越してきてからの丸11年です。今の歌舞伎座が出来て60年ですから、新参者に毛が生えた程度でしょうか。
それでもほぼ毎月、少なくとも一度、多い月は三度四度と足を運んだ場所は、他にありません。ある意味会社の次に親しんだ場所と言えるかも。何十年も通った方には比べものになりませんが、私なりの感慨を持ってこの日を迎えました。

一、御名残木挽闇爭(おなごりこびきのだんまり)
悪七兵衛景清  三津五郎             
典侍の局  芝 雀             
工藤祐経  染五郎             
曽我十郎  菊之助             
曽我五郎  海老蔵           
鬼王新左衛門  獅 童            
小林朝比奈  勘太郎              
片貝姫  七之助             
半沢民部  團 蔵           
秩父庄司重忠  松 緑             
大磯の虎  孝太郎             
小林舞鶴  時 蔵

「対面」の設定を、歌舞伎座の造営の柱立ての場に移して、という趣向だが、まあ筋はどうでも良い。とにかく一人でも多くの役者を登場させたいという作者の苦心がしのばれる。若手の花形が勢揃いして、美しい舞台面を作った。
海老蔵の五郎と菊之助の十郎が、考えてみると夜の「助六」でそれぞれの父親が同じ役をやっているわけで、なんだか微笑ましかった。この二人で「助六」をやる日も近かろう。(菊ちゃんの揚巻ではもうやっているけど)
最後は三津五郎が豪快に六方を踏んで花道を入った。台詞はないがさすがに存在感が大きく、短い演目をしっかり締めくくった。

  一谷嫩軍記
二、熊谷陣屋(くまがいじんや)
熊谷直実  吉右衛門            
白毫弥陀六  富十郎              
藤の方  魁 春             
亀井六郎  友右衛門             
片岡八郎  錦之助             
伊勢三郎  松 江             
駿河次郎  桂 三           
梶原平次景高  由次郎              
堤軍次  歌 昇              
源義経  梅 玉               
相模  藤十郎

吉右衛門の熊谷。もう何も言うことありません。
花道を出てきたときから、胸にすべてをしまい込んだ、沈痛な表情に胸が詰まる思い。
相模を見て、よりによってなんで今日ここにお前がいるんだ、という戸惑いを怒りの顔つきで取り繕う哀しさ。
藤の方に、すべては戦場の習い、といいながらも、その無常さをいちばん感じているのは熊谷その人であることが感じられる「物語」の圧倒的な臨場感。
小次郎の首を見て狂乱する相模と藤の方を制札でとどめる懸命さと、義経に首を突きつける気迫。
相模の嘆きを見ながら、それでも涙をこらえてじっと相模を見つめる目に、小次郎と相模への深い愛情と慟哭が表れて、辛くて見ていられないような気さえした。
幕切れ、花道で「十六年は一昔」とここで初めて真情を口にして、戦の場から立ち去る熊谷の悲痛に、言葉を失うほどに圧倒されてただ見送るのみ。

藤十郎の相模も、武家女房らしい品があり、夫と藤の方の双方に気を配る様子が丁寧で上手い。しかしなんと言っても、小次郎の首を手にしてからの嘆きが圧巻で、藤の方を慰めていたのが一転して我が身が悲しみのどん底に突き落とされた母親の驚愕と、それでも夫に合わせてこの首は敦盛様、と言いながらこの首を抱きしめる悲しさ哀れさに深い深い情愛が見えてそれは立派。

富十郎の弥陀六が、老骨の武士の気概が見えてさすがに大きく存在感十分。平家の生き残りの悲哀とプライドを見せ、敦盛を助けた熊谷への感謝といたわりも示す情のある様子が立派。着物が、普通弥陀六は茶系の着付けだが、今回は鼠色だったのが珍しい。いつもながらお声に張りがあって、お元気そうで何より。番付のインタビューで「次のオリンピックまでの4年なんてあっという間でしょう」と新しい歌舞伎座が出来るまでの3年なんて短いといわんばかりの言葉に膝を打つ気持ちがして、この人らしく前向きでかっこいいと思う。

魁春の藤の方が美しく品があって、院の愛妾らしい華やかさと、母親の嘆きを見せた。
梅玉の義経ははまり役、御大将らしい気品と、智と情のある様子が立派。

最初から最後まで、一瞬たりとも舞台から目をそらせない、集中力の高い名舞台。義太夫狂言の面白さ奥深さを歌舞伎座最後の日に堪能させてもらった。

三、連獅子(れんじし)
狂言師後に親獅子の精  勘三郎       
狂言師後に仔獅子の精  勘太郎       
狂言師後に仔獅子の精  七之助              
僧蓮念  橋之助              
僧遍念  扇 雀

勘太郎と七之助がまだほんの子供の頃から踊ってきた、ほとんど家の芸といっても良いような演目である。二人ともすっかり大きくなって、特に勘太郎の踊りなどは勘三郎と引けを取らないばかりか、もう追い越しつつあるのではないかと思えるくらい。なんといってもこの3人の連獅子の面白さは、振りの豪快さもあることながら、本当に息がぴったり合っていることで、前半ももちろんだが、特に後半の毛振りが最初から最後までぴったり揃っているのは見事というしかない。
迫力と華やかさのあふれる、めでたさに満ちた舞台。
橋之助と扇雀も、明るい軽妙さで間狂言を勤めてしっかり繋いだ。

本当はこの日はこの第一部だけ見るつもりだったのだが、前日になって奇跡的に第二部と三部のチケットを取ることが出来た。正直、お財布は辛いけど、6,7月は歌舞伎の本公演がなさそうだし、えいや、っと取ってしまった。

結局一日歌舞伎座にいて私にとって最後の日をかみしめるように過ごすことが出来た。
もうこれで見納めと思うと、用もないのに2階や3階までいって歩き回ったり、売店や階段、3階の手すりにもこっそりお別れを告げてきた。
最後の「助六」では勘三郎の台詞にポロッと泣いて、幕が閉まるときには、ああこれで本当に終わりなんだなあ、と思うとしばらく席を立てなかった。

今これを書いている時点で、千秋楽も幕を下ろして、後は閉場式だけ。寂しいことだが仕方がない。富十郎さんがいうように、あっという間に3年が過ぎてしまうことを祈るのみ。

「熊谷陣屋」の最後の方で、「ご縁があれば、と女どうし、命があれば、と男どうし」という名台詞があるが、本当にそうだなあと思う。ご縁と、命と両方がないと、人とも場所とも再びまみえることはできない。役者のみなさんとも、一緒に観ていた観客のみなさんとも、また新しい歌舞伎座でお会いできますように、と祈りながら帰途についた。


ほとんどプレミアがつきそうな勢いだっためで鯛焼きも最後にやっとゲット。ほんとは5個買おうかと思っていたけど、後ろに並んでる人のことを思うと言えなくて2個に(笑)。一つは持って帰って冷凍したけど、もったいなくて食べられないなあ。


これも歌舞伎座売店でのお気に入りののど飴。これは歌舞伎座限定品じゃないけど。ミント系ののど飴が苦手なので、これはからすぎず甘すぎずちょうど良いです。


最後に座ったお席(笑)。


見納めのカウントダウン時計。
こんな遅い時間までいたのは初めて。
ほんとに一日中、朝から晩まで歌舞伎漬けになって、もうしばらく歌舞伎はいいや、って思ったくらい(笑)。もちろんそれは嘘で、来週には大阪で團菊祭が。