SSブログ

国立劇場10月歌舞伎公演第二部 [舞台]

8月から始まった歌舞伎座に遅れて、国立劇場でも10月からやっと歌舞伎の本公演が始まった。ただやはり客席は一人おきの半分、ロビーや客席での飲食禁止など制限の元ではある。

魚屋宗五郎

魚屋宗五郎 尾 上 菊 五 郎
宗五郎女房おはま 中 村 時  蔵
磯部主計之介 坂 東 彦 三 郎
磯部召使おなぎ 中 村 梅  枝
酒屋丁稚与吉 尾 上 丑 之 助
鳶吉五郎 市 村 橘 太 郎
岩上典蔵 片 岡 亀  蔵
小奴三吉 河原崎 権 十 郎
菊茶屋女房おみつ 市 村 萬 次 郎
宗五郎父太兵衛 市 川 團  蔵
家老浦戸十左衛門 市 川 左 團 次

至芸、とはこういうのを言うんだろう。菊五郎の宗五郎である。さらさらと何気なくやっているようで一分の隙もない。花道の出での橘太郎との短いやりとりだけで心中の暗さをしっかりと印象づけ、父への理を説く台詞にしらふの時の沈着な男を見せ、それが酒が入るとだんだん変わっていく面白さ。しかし暴れても口が悪くなっても、あるのは妹の理不尽な死への怒りだ。といっても磯部邸での文句にもあくまで軽妙な可笑しさがあり、とにかく面白い。菊五郎の世話物は、台詞といい動きといい、江戸の庶民の生活の匂いのようなものが眼前に立ち上るような心地がする。

今回は周りも鉄壁の菊五郎劇団の面々が揃う。時蔵のおはまは菊五郎との息もぴったりで、さすがに良いおかみさん振り。
團蔵の親父さんも良い味だし、出色は梅枝のおなぎで、お蔦が殺された事情を語る様子が芝居がかってぐんぐん惹きつける。ちょっと落語みたいだったけど。
丑之助君も前見たときよりずっと上手になって、台詞も、間もしっかりあって、大きな声ではっきり言えていた。こどもの成長は早いなあ。
隅々まで菊五郎の息がかかった、素晴らしいアンサンブルを堪能した。ああ、劇団芝居って良いなあ、としみじみ。

太 刀 盗 人

すっぱの九郎兵衛 尾 上 松  緑
田舎者万兵衛 坂 東 亀  蔵
目代丁字左衛門 片 岡 亀  蔵

休憩を挟んで後半は踊り。これはもう文句なしに愉しい。松緑のすっぱはメークからしてやり過ぎギリギリの可笑しさで、大げさな仕草や表情、台詞で笑わせる。万兵衛の亀蔵と息がぴったりで、ワンテンポ遅れた連れ舞とかものりのり。明るく笑って楽しく打ち出し。

歌舞伎座は一幕ずつだが、国立は二幕見られてチケット代もリーズナブル。やっぱり二幕くらい続けて見ないと、歌舞伎を見たって気がしないな、と改めて思った。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:演劇

9月歌舞伎座第三部 [舞台]

2009歌舞伎座a.jpg

秀山ゆかりの狂言
双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)
引窓

濡髪長五郎  吉右衛門
南与兵衛後に南方十次兵衛  菊之助
平岡丹平  歌昇
三原伝造  種之助
お早   雀右衛門
お幸   東蔵

8月に続いて四部制の歌舞伎座公演。ただ、花形世代中心だった8月から9月は大御所も出演し、少し本来の形に進んだ感じはある。
その中でもこの三部の「引窓」は、8月にはなかった義太夫狂言で、正直やっと歌舞伎らしい歌舞伎を見たという感激があった。
9月は例年なら秀山祭と銘打った興行だが、このコロナ禍の中で「祭」とつけるのは遠慮したらしい。ただこの三部だけは「秀山ゆかりの」とつけることでなんとか秀山を偲ぶ形となった。

吉右衛門は当たり役の与兵衛を婿の菊之助に譲り、濡髪に回ったが、さすがに大きい。大きな体を小さくするようにして花道を走り込んできて、滑り込むように家に入ってからの、再会を喜ぶ母に真実を告げられない苦しさを視線一つで見せ、「同じ人を殺しても、、、」の独り言に重い心をにじませる。後半は母への情に揺れながらも義を立てて与兵衛に捕まろうとする性根の真っ直ぐさを見せる。母の膝に手を置いて「未来におわす十次兵衛殿へ、立ちますまいがの」のあとの「やあ」「やぁ」「やぁ」のやあ3連発だけで泣ける。

東蔵の母お幸も実の息子と義理の息子の間で板挟みになる切なさを情たっぷりに見せる。この手の老母をやらせたらやはりこの人が今いちばんだろう。
雀右衛門のお早も、元は遊女の色香を残しつつ、気立ての良い、姑につくし、夫のこともぞっこん大好きな可愛い女房振り。

手堅い共演者の中で初役の菊之助の与兵衛は律儀で清潔な好青年と言った風で、これまで放蕩してきた浮いた感じがもう少しほしい気もするが、母が打ち明けてくれない寂しさを押し隠し、母の意を汲んで濡髪を逃してやる優しさがぴったり。播磨屋のやり方とは少し違うが、持ち役にしていくだろう。

4人のアンサンブルがとても良く、元々後味の良い作品だが、特に吉右衛門と東蔵の台詞の一言一言が胸に染みて人の優しさが胸を打つ。台詞で聞かせる義太夫狂言の良さにどっぷりはまれて幸せ。やっぱり歌舞伎はこうでなくっちゃ、と思わせてくれた一幕だった。





nice!(0)  コメント(2) 
共通テーマ:演劇

八月花形歌舞伎第三、四部 [舞台]

歌舞伎座

2008kabukiza.jpg

先週に続いて三、四部を。

第三部
吉野山

佐藤忠信実は源九郎狐 猿之助
逸見藤太  猿弥
静御前  七之助

吉野山、久しぶりの澤瀉屋型。猿之助の狐忠信はひたすら可愛く格好いい。幕切れぶっ返って狐の衣装になってのの引っ込みが沸かせる。
七之助の静はクールビューティ。個人的にはもうちょっと可愛げほしいなぁ。まあ忠信に対しては主人格だけど、頼りにするのは彼だけという甘えのようなものもちょっとは見えてもいいと思うのよ。たぶん玉様仕込みなんだろう。
猿弥の藤太のコミカルさは無二。

藤太と捕り手のやり取りが花道でなく舞台上だった。花道をなるべく使わないようにだろうな。

第四部
与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)
源氏店

切られ与三郎  幸四郎
妾お富   児太郎
番頭藤八  片岡亀蔵
和泉屋多左衛門  中車
蝙蝠の安五郎  彌十郎

時間の関係か見染の場はなく源氏店から。しかも黒塀外はなくいきなり室内に藤八が入り込んでいるところからスタート。それだけでもやや興を削がれる感じ。
その上コロナ禍で密な接触を防ぐために演出の変更がいくつかあり、藤八にお富が化粧してやる場面は藤八が自分でおしろいを塗る。また、幕切れのお富と与三郎が抱き合うシーンもソーシャルディスタンディングで二人で手ぬぐいを取り合って幕。好意的に見る向きも多いようだがあの幕切れは私は嫌だ。周りからも笑いが起こってしまっていてまるでウケ狙いのように見えてしまう。そうすると、与三郎とお富でなく幸四郎と児太郎になってしまうのだ。笑いが起きないなら良いんだけど。いっそ「そんならお前は兄さん」でぶっつり切れる従来のやり方の方が歌舞伎らしくて良いと私は思う。

見慣れた古典の演出を変更する場合、やはりそうするだけの説得力が必要で、今回の源氏店のようにコロナのせいでやむを得ず、だと見ていて「あ~あ、こうするしかないのか」というがっかり感が強い。

幸四郎の与三郎は確かに頬被りの中の憂いのある顔が美しく、甘ったれな坊ちゃんが身を持ち崩しきれない雰囲気はあったけど。周りがいかんせん初役が多いせいか世話物の空気感が薄い。

児太郎のお富も期待したほどでは。婀娜っぽさとがさつさは違うはず。台詞も教わったとおりに一応一生懸命やってるけど実がないというか。(それでもちゃんとなぞれているのは偉いが) 児太郎はもっと練っていけば当たり役になりそうなので、次はぜひ普通の演出でやらせてあげたい。

それは中車も彌十郎も同じでまだ役の性根を掴み切れていない感じ。みんなもう一歩。再演に期待。(しかし、中車と彌十郎はニンが逆だと思うが)

とは言え、他の三部が舞踊ものだったのと比べ、制限ある中で芝居をやるのはかなりの苦労があると思う。そこは健闘を称えたい。(何様ですいません)


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:演劇

八月花形歌舞伎第一、二部 [舞台]

歌舞伎座

3月から新型コロナウイルスのために休場していた歌舞伎座が8月からやっと再開された。
異例の四部制、各部で出演者はもちろんスタッフら関係者も総入れ替えにし、客席は一席おき、大向こうも禁止、休憩なし、飲食禁止、売店も休業、、、と前例のないスタイル。たとえ売ってる席が全部埋まっても赤字かもしれない。それでも幕を開けようという劇場側の強い志に感じ入る興行である。

8月は例年若手中心の納涼公演だが、今年も顔触れ自体はいつものものとそう変わらない花形公演。

第一部
連獅子

狂言師右近後に親獅子の精 = 片岡愛之助(6代目)

狂言師左近後に仔獅子の精 = 中村壱太郎(初代)

浄土の僧遍念 = 中村橋之助(4代目)

法華の僧蓮念 = 中村歌之助(4代目)

愛之助と壱太郎という上方役者同士の共演。親子でやることが多い演目で、親戚でもない二人がやるのは比較的珍しい。
幕が開く前に、出演者のご挨拶アナウンスが日替わりで流れる。私が見た日は橋之助だった。
幕が上がって、居並ぶ長唄連中も皆布マスク。前もって情報があったので驚かないが、やはり通常の公演ではないことを改めて意識する。それでも、演奏が始まると、ああやっぱり生の音は良いなと胸が熱くなる。

普段の親子共演だと、こどもの方が親にどれだけついて行けるか、と言う視点で見てしまうことが多いが、今回のように二人とも大人だとなんだか実力伯仲というか、下手すると踊りは壱君の方が安定していたりして、微苦笑。前シテは二人ともとても神妙に行儀良く踊っていて、第一部の幕開きを飾る緊張感のようなものも伝わってきた。

後シテも、二人ともやたらブンブン振るのではなく格調を保って務めていた。壱太郎も、数年前にお父さんとやった時はすごい高速で振っていたが、今回は落ち着いた感じで、でも綺麗な毛振りだった。

宗論は橋之助と歌之助の兄弟で。狂言らしい可笑しさはまだまだだが、一生懸命やっているのは伝わった。

大向こうはないが、客席からは熱い拍手が沸き起こっていた。これにも胸熱。

第二部
棒しばり

次郎冠者 = 中村勘九郎(6代目)

太郎冠者 = 坂東巳之助(2代目)

曽根松兵衛 = 中村扇雀(3代目)

二部の開幕挨拶はこの日は巳之助だった。

勘九郎と巳之助の組み合わせは二度目か。双方の父親同士の当たり役で、二人での初演の時は父を偲んで目頭が熱くなったのを思い出す。今回は別の意味でまた胸熱。
勘九郎は、生の舞台で踊れる喜びを爆発させるような活きの良さで、キレッキレの体の動きと絶妙な足さばきに目を見張る。さらに愛嬌のあふれる様子も楽しい。
巳之助も負けじと溌剌とした様子。それでも行儀は良いのがいい。
扇雀の大名も威厳はありながらおかしみもあってまずまず。
とにかく、この数ヶ月の鬱憤を吹き飛ばすような明るく清々しい舞台だった。短くてあっという間に終わってしまって、もっと見ていたいのに、と思うほど。

一部も二部も、客も生の舞台を待っていたけど、役者さん達も待っていたんだなあ、と実感できた。
どうか無事にこのまま舞台を開け続けることができますように。

nice!(1)  コメント(2) 
共通テーマ:演劇

ジャージー・ボーイズ・イン・コンサート [舞台]

7月27日(月) 帝国劇場
https://www.tohostage.com/jersey/index.html

ジャージー・ボーイズ・イン・コンサート.jpg

本当はミュージカルとして上演予定だったのが、新型コロナウイルスの影響で中止になり、がっかりしていたがコンサート形式での上演となった。帝国劇場自体ずっと休場していて、再開の舞台。
客席は千鳥配列に一人おきに座って感染対策。客数は半減してしまうが仕方ないだろうなあ。

ミュージカルとしては前回見たのでストーリーは大体覚えている。
コンサート形式だが、ただ歌だけではなく、歌の間に俳優が台詞を交えて展開を説明してくれるので見ていなくてもわかるし、舞台のスクリーンでは前回などのヴィデオも映るので忘れていたところも思い出せた。

ミュージカルのを初めて見た時は、とにかくアッキーこと中川晃教の歌唱にびっくり仰天。もちろんそれまでにも聴いたことはあったけど、フランキー・ヴァリのあのファルセットヴォイスを再現できる歌手が日本にいたなんて。

今回もそのアッキーの歌はもちろん健在でステージを引っ張っていくが、彼だけでなく、他のフォーシーズンズのメンバーも聞かせどころたっぷりで、歌だけじゃなくて芝居の部分もしっかり見せてくれて、舞台装置や衣装こそ違うもののほぼミュージカルを見た気分になれたのは嬉しい。面白いのはダブルキャストの三組が二人で掛け合いみたいに台詞を言うところ。競い合ってるようにも見えて楽しかった。

それにしても、当たり前かもしれないがみなさん歌がうまい。アッキーだけじゃなくてメンバーそれぞれソロがあって聴かせてくれる。ミュージカル初挑戦のけんけんこと尾上右近も張り切って歌って踊って活躍してて嬉しい。けんけんの活動の幅もどんどん広がるなあ。でもトニー役はあまりピンとこないので、ミュージカルだったらどうだったかな。見てみたかった。
個人的に気に入ってるのはボブ・ゴーディオ役の矢崎広。前回観た時から気になる存在。

次回、いつになるかわからないけど、きっとミュージカルとして再演できると信じて待っていよう。

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:演劇

二月大歌舞伎夜の部 [舞台]

s-1902歌舞伎座1.jpg

歌舞伎座。
2月公演は初世辰之助の追善で昼夜とも縁の出演者と演目が出た。

一谷嫩軍記
一、熊谷陣屋(くまがいじんや)
熊谷直実   吉右衛門
藤の方    雀右衛門
源義経    菊之助
亀井六郎   歌昇
片岡八郎   種之助
伊勢三郎   菊市郎
駿河次郎   菊史郎
梶原平次景高  吉之丞
堤軍次    又五郎
白毫弥陀六  歌六
相模     魁春

また熊谷か、と思わないでもなかったが、と言っても杮落とし以来だから約6年ぶりである。
吉右衛門の熊谷、前回杮落とし、その前のさよならいずれとも違う感じがするが細かいところはわからない。ただとにかく今回はさらに息子への情を深く深く胸にしまい込んだ様子が見えて悲しみが滲む。

最初の花道の出からじっと胸に全てをしまい込んで、悲しみも空しさも抑え込んで、でも溢れてしまう辛さや息子への愛情が、その後の戦物語の時も首実検の時も、熊谷からにじみ出ていた。
朗々たる声の物語の明快さに隠れる真実の痛ましさを知って観ている観客は、熊谷の心の内の血の涙を見る思い。

昔とやってることは変わらないのになぜこう印象が違うんだろう。いや変わってないわけじゃない。特に相模に首を渡す時。歌舞伎座さよならの時は相模を睨むように「わかってるな、余計なことは言うなよ」と言ってるような厳しさがあったような気がするが、今回は「わかってくれ、他にどうすることもできなかったんだよ」と心の中でわびているように見えた。

前回までの方が、熊谷から感じられる圧は凄かった。今月はむしろ淡々としているようでいて、とにかく深い。前回までが武士としての熊谷の苦悩を見せていたとすれば、今回はもっと普遍的な人間として子を自ら手にかけたものの苦悩を表していたと言えようか。
台詞だけでなく、表情だけでなく、仕草だけでなく、播磨屋の存在そのものが熊谷の渦巻く感情を体現しているようで、目も耳も一時も播磨屋から離れられなかった。

揚げ幕の近くの席で見た日、播磨屋の熊谷が出てきても、拍手できる感じじゃないわけですよ。纏ってる空気がもう、役者が出てきたんじゃなくて、息子を手にかけた男が出てきたそのもので、そんな人に拍手とか大向こうとか、とんでもない感じで。客席全体がのまれたように静まりかえっていた。

周りも素晴らしかった。
魁春の相模が本当に素敵だった。私的には先代の京屋さんに匹敵するレベル。熊谷が義経に首を見せている間小刻みに震える背中に泣ける。控えめな妻ながら息子を失った母の悲しみに暮れる口説きが切々。
雀右衛門の藤の方が品があり昔は院の愛妾の面影を残す。この二人はどっちがどっちでもいけるんだな。
菊之助の義経台詞がはっきりして御大将の気品と位取りで温情も。

そしてさらに凄かったのが歌六の弥陀六。元は武士としての気骨があり、過去への悔いや、平家一門への申し訳なさなどが十二分に見える。義経に呼び止められて、花道で顔を上げた瞬間石屋から武士の顔に戻ってる迫力に圧倒された。

竹本の葵大夫の絶唱も含めて、隅々まで隙のない大舞台。義太夫狂言の今望みうる最上の舞台を見た思い。

二、當年祝春駒(あたるとしいわうはるこま)
工藤祐経   梅玉
曽我五郎   左近
大磯の虎   米吉
化粧坂少将  梅丸
曽我十郎   錦之助
小林朝比奈  又五郎

今月は初世尾上辰之助三十三回忌追善公演。孫の左近も出演。
左近はキビキビとした行儀の良い踊りを見せ、筋の良さを感じさせる。声変わり中で台詞はこれからだが、何より視線の真っ直ぐな強さが頼もしい。将来性十分。
周りも若い左近をもり立てる。
梅玉の工藤が包容力のある様子。
錦之助の十郎が若々しく、左近と兄弟の違和感がないのは恐れ入る。
又五郎の小林もさすがに踊りが上手く、豪胆な様子もあってみせる。
米吉と梅丸が可憐。


三、名月八幡祭(めいげつはちまんまつり)
縮屋新助   松緑
芸者美代吉   玉三郎
魚惣     歌六
船頭長吉   松江
魚惣女房お竹   梅花
美代吉母およし  歌女之丞
藤岡慶十郎   梅玉
船頭三次   仁左衛門

夜の部の追善狂言。
松緑の新助は、初演と違い大御所に引っ張られて格段の出来。やはり共演者って大事よね。正直者でうぶな田舎者が、高嶺の花と思っていた女のために破滅していく姿を直球で演じた。裏切られた後の号泣、幕切れの殺しの後の高笑いに胸が締め付けられるよう。

玉三郎の美代吉、悪女ではないが、見栄っ張りでその場その場で口に出す言葉の軽さがやりきれない。いい女なんだろうが、絶対に同性に好かれないタイプ。
仁左衛門の三次もキング・オブ・クズ男で、金にだらしなく女にたかるだけの男。まあしかし、にざ様に抱きつかれて「姐は~ん」って甘えられたら、抵抗できる女はいませんな。
梅玉の藤岡の殿様が最高。鷹揚で、金の使い方も、女の切れ離れも綺麗で、まあ現実にはいそうにないが、梅玉さんがやるとピタリとはまる。

歌六の魚惣が江戸っ子らしい面倒見の良さと気の短さを見せて秀逸。
梅花、歌女之丞、京蔵がそれぞれ役にあった雰囲気を出して上々。さすがベテランの味。

ただ惜しむらくは最後の演出がなあ。音だけうるさい雷と雨、ピカピカ雷光、雨粒はミスト。ほとんど濡れない二人。土砂降りの中びしょ濡れになって地面を這いずり回りながらの殺しだからこそ陰惨さが際立つのでは?無人の舞台に満月が映える素晴らしい幕切れも床が濡れてないから月が反射しない。ガッカリ。
季節柄、濡れて風邪をひいてはということかもしれないが、そんなこと心配するんなら2月にこの演目をやらなければいい。本来夏芝居なんだから。辰之助縁の演目など他にもあったろう。そこまでの芝居が良かっただけに余計に残念だった。


nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:演劇

壽 初春大歌舞伎・夜の部 [舞台]

歌舞伎座
s-1901歌舞伎座.jpg

この頃毎年のことながら、大坂の松竹座も含めて五座で歌舞伎の公演が行われる1月。盛況なのはめでたいが、各座がやや手薄に感じられてしまうのも事実。そろそろなんとか考えた方が良いんじゃないのかしらね、と思う。

一、絵本太功記(えほんたいこうき)
尼ヶ崎閑居の場
武智光秀  吉右衛門
操     雀右衛門
武智十次郎  幸四郎
初菊   米吉
佐藤正清  又五郎
真柴久吉  歌六
皐月   東蔵

吉右衛門の光秀は、信念に生きる武将の剛と、その信念故に母と息子を同時に失う男の悲痛を重厚に描き出す。竹藪からぬっと現れた姿の古怪な不気味さは錦絵のよう。團蔵型の出(笠を上でなく下に下げる型)がよく似合う。十次郎への「おお、ててじゃ、ててじゃ」に厳しくも父の愛情がのぞく。二人の落入の後の扇子に隠した泣き顔。一分の隙もない。
自分は絶対に間違ったことはしていない、なのになぜこんな思いをしなければならないのか、という悲憤が青い焔のように全身から立ち上って舞台を覆い尽くす。哀しみも憎しみも深く大きく観る者を揺さぶる。このスケールの桁違いな大きさよ。

十次郎の幸四郎が儚くも美しい若武者姿。まだまだ息子には譲りません!てか。叔父との父子役、泣けるわ~。
米吉の初菊も可憐で一途な様子で、幸四郎相手に健闘。
雀右衛門の操が控えめな妻女でよく似合う。
歌六の知将ぶり、又五郎の勇猛さと周りも揃う。
皐月は本役が東蔵で、数日休演した時の代役は秀太郎だった。個人的には秀太郎の方が義太夫狂言のコクと、皐月の息子を許さない厳しさがあってニンだったと思う。
ともあれ、時代物義太夫狂言の濃厚な一幕を堪能。チーム播磨屋の盤石さを改めて思い知る。

二、勢獅子(きおいじし)

鳶頭   梅玉
鳶頭   芝翫
鳶の者  福之助
鳶の者  鷹之資
鳶の者  玉太郎
鳶の者  歌之助
芸者   雀右衛門
芸者   魁春

勢獅子は、ぱあっと気分を変えて明るく賑やかで楽しい舞台。
梅玉も芝翫も踊りの名手というわけではないが、鳶頭らしい粋な様子に見せているのはさすが。
踊りに関しては鷹之資始め若手の方が活きの良いところを見せて気持ちよい。
雀右衛門と魁春が艶っぽい。
お弟子さんらによる鳶と手古舞の踊りも楽しく、正月にはぴったり。

三、松竹梅湯島掛額(しょうちくばいゆしまのかけがく)
吉祥院お土砂の場
四ツ木戸火の見櫓の場
浄瑠璃「伊達娘恋緋鹿子」
紅屋長兵衛  猿之助
八百屋お七  七之助
母おたけ   門之助
長沼六郎   松江
若党十内   廣太郎
同宿了念   福之助
釜屋武兵衛   吉之丞
友達娘おしも  宗之助
月和上人   由次郎
下女お杉   梅花(竹三郎代役) 
小姓吉三郎  幸四郎

湯島掛額は、芸達者な猿之助が上手く笑いを誘い、松江もお笑い担当。ハズキルーペのCMのパロディとかDA PUMPのUSAとか色々ぶっ込んでた。
幸四郎が前髪の若衆が無理なく似合い、七之助のお七と美男美女のカップル。吉三がお七を介抱する場面は猿之助が様々にちょっかいを出して爆笑。
ちょっと久しぶりな由次郎が元気だったのが嬉しい。
お土砂のとこ、キッチーは最後幕を自分でひいてた気がするが違うやり方だった。まあ馬鹿馬鹿しい話だが理屈抜きで楽しめた。

最後の火の見櫓の場は七之助の人形振りが見どころ。腕だけじゃなく指の動きも人形。ビスクドールのような顔が美しくもちょっと怖い。その前のお杉とのやりとりがふにゃふにゃしてるだけに余計に動きの激しさが際立つ。
梅花のお杉がさすがに手堅く上手い。
月初に観た日は竹三郎も元気そうだったのに後半休演。お年だけに心配。


nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:演劇

松竹座7月大歌舞伎夜の部 [舞台]

元禄忠臣蔵
一、御浜御殿綱豊卿(おはまごてんつなとよきょう)
徳川綱豊卿    片岡 仁左衛門
富森助右衛門   市川 中車
中臈お喜世    中村 壱太郎
小谷甚内     片岡 松之助
上臈浦尾     上村 吉弥
御祐筆江島    中村 扇雀
新井勘解由    中村 歌六

何年前だったか、中車の襲名披露の南座公演でやるはずだったのが仁左衛門休演で梅玉に変わった演目。やっと中車と仁左衛門の共演が実現した。

仁左衛門の綱豊卿は当たり役。ちょっと皮肉っぽい物言いや、喜世への優しげな様子、助右衛門の心底を探ろうとあの手この手で問い詰める、余裕たっぷりな様子から、思わぬ反撃を受けての一瞬見せる激昂まで様々な表情を見事な台詞回しと、目の動きで見せていく。その的確さに舌を巻く。

中車ははじめは綱豊の手のひらで踊らされる猿のように追い詰められながら必死にかわそうとする。汗だくの熱演。その必死さが、なんとか仁左衛門に対応しようとする中車自身の姿とオーバーラップして感動してしまった。こういう書き物なら中車も十分歌舞伎役者としてみられるようになった。凄いと思う。

扇雀の江島が良い。いかにも頭の良い御右筆という才女で、サバサバした様子もあって扇雀に似合いの役。
壱太郎のお喜世は可憐で初々しい。初演の時はキャンキャンうるさい感じがしたが、しっとりと落ち着いた。
そして歌六の勘解由が落ち着きと威厳ある様子で舞台を締める。
吉弥が浦尾なのはちょっともったいない気も。
     
二・口上

s-1807松竹座油地獄.jpg
三、女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)
河内屋与兵衛   染五郎改め松本 幸四郎
七左衛門女房お吉  市川 猿之助
山本森右衛門   市川 中車
芸者小菊    市川 高麗蔵
小栗八弥   中村 歌昇
妹おかち   中村 壱太郎
刷毛の弥五郎   大谷 廣太郎
口入小兵衛   片岡 松之助
白稲荷法印   嵐 橘三郎
皆朱の善兵衛   澤村 宗之助
母おさわ    坂東 竹三郎
豊嶋屋七左衛門  中村 鴈治郎
兄太兵衛     中村 又五郎
河内屋徳兵衛   中村 歌六 

与兵衛を当たり役とした仁左衛門の指導を受けて新幸四郎が与兵衛を上方の地で演じる。高麗屋の芸だけでなく、松嶋屋の芸も受け継ごうという幸四郎の意欲が表れた演目選定。
既に何演目か、しっかり自分のものにしている印象の幸四郎の与兵衛。子供のようにくるくる変わる表情、自分を制御できない幼さ、わがままさ、あかん奴と思っていても親や兄弟やお吉が面倒を見てしまう「ほっとけない子」が上手く出ている。

だが今回、これまでと違ったのは、今まで女殺油地獄を見て、徳兵衛おさわの為に泣いたことはあっても与兵衛の為に泣いたことはなかった。でも今夜の幸四郎与兵衛には泣けた。甘えたで乱暴者で救いのないアホだけど、でもこんなことになるなんて自分がいちばん驚いているような、どこでどう掛け違ってしまったのか、観ていて苦しかった。
何度も何度も引き返すチャンスはあったのに。勘当されて家を出たときの寂しげで切ない表情。今詫びを入れて心を入れ替えたら、と本人も思ったはずのあの顔。お吉に借金を頼む、親に迷惑かけたくないという真情がお吉にちゃんと届いていたら。そこに脇差しがなかったら。絶望して刀にふと目をやった瞬間、スイッチが入ってしまった。自分でももう止められない、ブレーキのない気持ちの暴走の。切なくて苦しくて、お吉の「死にとうない」が恐ろしくて悲しくて、耳をふさぎたくなった。
ただ可哀想とか哀れとかいう同情ではない、仁左衛門が見せたような狂気でもない、そこら辺にいるあんちゃんが闇に落ちていくのを目の当たりにしているような怖さ、誰か止めて止めて、と思う苦しさを感じた。

猿之助お吉は、ちょっと年増の色気もある、面倒見の良い堅気の女房の雰囲気がちゃんとあって素敵だった。前にやった吃又のおとくも良かった。こういう役ももっと観たい。

歌六の徳兵衛が、ちょっと気の弱い、継子故に与兵衛に厳しく当たれない優しさと切なさが溢れる。
竹三郎のおさわも徳兵衛に遠慮しながらも与兵衛を見捨てきれない母の情の悲しさを見せる。

回りも揃って、襲名にふさわしい大舞台となった。
弁慶と与兵衛という全く違う二役を見せた幸四郎の華がますます大きく開いたように感じた。


nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:演劇

松竹座7月大歌舞伎昼の部 [舞台]

高麗屋襲名披露公演の松竹座。今月は染五郎は出演せず、白鸚と幸四郎の二人。

一、廓三番叟(くるわさんばそう)
傾城千歳太夫 片岡 孝太郎
新造松ヶ枝  中村 壱太郎
太鼓持藤中  中村 歌昇

なぜこの暑い盛りに正月の郭が舞台の演目を出すのか、わけがわからないけど、そこに目をつむればたおやかで押し出しも良くなった孝太郎の傾城がしっとりとしてよく、壱太郎の新造も愛らしい。こういう柔らかい役はどうかと思った歌昇もやや顔芸気味なのを除けばまずまず軽さもあって悪くない。短いが華やかな幕開け。

菅原伝授手習鑑
二、車引(くるまびき)
松王丸   中村 又五郎
桜丸    中村 扇雀
杉王丸   中村 種之助
金棒引藤内   中村 寿治郎
藤原時平公   坂東 彌十郎
梅王丸   中村 鴈治郎

又五郎に扇雀、鴈治郞という中堅での三兄弟。実力の割に役に恵まれない印象のあるこの年代のこれからを占う一幕でもあった。
鴈治郞の梅王丸はなんといっても見た目が、フィギュア下さい、と言いたくなる。コロンコロンしていて可愛い。力感もあってまずまず。
扇雀の桜丸はもう少し柔らかみがほしいが、すっきりと品が良い。
そして又五郎の松王丸が力強く堂々として立派。
ほんとにこの世代の人たちにもっと頑張ってもらわないと、10年後といわず数年後の歌舞伎界が危ないんだから、もっともっと機会を与えてあげてほしいと思う。
彌十郎の時平もしっかりして立派だが、古怪さがほしいところ。

三、河内山(こうちやま)
松江邸広間より玄関先まで
河内山宗俊  幸四郎改め松本 白鸚
高木小左衛門  坂東 彌十郎
宮崎数馬   市川 高麗蔵
腰元浪路   中村 壱太郎
北村大膳   松本 錦吾
松江出雲守   中村 歌六

今月の白鸚の襲名披露狂言。
白鸚独特の台詞回しは苦手だが、この人らしい愛嬌とおかしみのある河内山。
歌六の松江候とは意外な配役だが、さすがに何でもこなす。とは言え、やはりニンではないようで、馬鹿殿には見えずちょっと苦しい。
彌十郎以下回りも手堅く揃うが、襲名披露としては物足りない気がしないでもなかった。

s-1807松竹座勧進帳.jpg
四、歌舞伎十八番の内 勧進帳(かんじんちょう)
武蔵坊弁慶  染五郎改め松本 幸四郎
源義経    片岡 孝太郎
亀井六郎   市川 高麗蔵
片岡八郎   中村 歌昇
駿河次郎   中村 種之助
常陸坊海尊   松本 錦吾
富樫左衛門   片岡 仁左衛門

1月の襲名公演でも出した勧進帳の弁慶。幸四郎は1月より力みが減って、でも力強く忍耐強く、そして人一倍情のある弁慶。スーパーマンじゃないけど皆がついて行きたいスーパーリーダー。1月より山伏問答がきっちりとして良くなった。延年の舞は前も良かったけどさらに余裕が出来て素敵。最後の六方までゆるみなく引き締まって、豪快。父や叔父とも違う十代目幸四郎の弁慶が見えてきたのかもしれない。

さらにまたニザ様の富樫の素敵なこと!端正で涼やかで、しかし職務遂行能力半端ないのに人情味が篤い。こんな上司がほしいナンバーワン、みたいな。吉右衛門の重厚な富樫とはまた違う、いかにも切れ者の、鋭く冷静沈着な能吏らしい富樫。

意外と言っては失礼だが孝太郎の義経も良かった。個人的には女形の義経は好きじゃないんだけど、品があって悲劇の貴公子の影と御大将の威厳もさらりとうかがわせたあたり上出来。

襲名披露らしいいい舞台だった。


nice!(6)  コメント(0) 
共通テーマ:演劇

六月大歌舞伎 夜の部 [舞台]

歌舞伎座

一、夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)
鳥居前
三婦内
長町裏

団七九郎兵衛  吉右衛門
お辰      雀右衛門
一寸徳兵衛   錦之助
お梶      菊之助
下剃三吉    松江
玉島磯之丞   種之助
傾城琴浦    米吉
団七伜市松   寺嶋和史
大鳥佐賀右衛門  吉之丞
三河屋義平次  橘三郎
堤藤内     桂三
釣船三婦    歌六
おつぎ     東蔵

なんで今また団七をやるんだ。孫と一緒に舞台に出たいだけだろ~(笑)なんてみんな言ってて、私も演目聞いたときは、は~(?)、と思ったけど。
はじめの鳥居前は錦之助との立ち回りもあるが、やっぱり最後の和史君が出てきてからのデレデレぶりが微笑ましく、(ほとんど素でやってるだろ!)ってつっこみたくなる。いや、可愛いんですけどね。

だが長町裏で全てが変わる。
舅義平次に追い詰められる苦悩の深さ、思いがけず手にかけてしまってからの覚悟を決めての壮絶な立ち回り、とどめを刺してから、刀や体を洗い、浴衣をやっと着て、犯した罪におののきながら花道を足下もおぼつかないように入っていく姿を覆う深い真っ暗な闇。うなされるように「わっしょい、わっしょい」と口ずさみながら。
歌舞伎という芝居は、得てして人が簡単に殺されてしまうものだけれど、これほどただ一人の殺人が重く苦しく描かれることは少ないのではないか。それも死ぬ方の哀れさではなく、殺した方の悲痛を見せられたことはない。こんなに悲しい長町裏の場は初めて見た。

徳兵衛の錦之助は前回に比べると押し出しも良くなって、吉右衛門の団七と釣り合うとまでは行かないものの、しっかりついて行っていた。
菊之助の女房お梶もすっかり吉右衛門とも馴染んできて、いい世話女房ぶり。
和史君は、まだ上手いも何も、と言う段階だが、とにかくよく頑張りました。

歌六の三婦が出色。年は取ってもまだまだ若い者に引けは取らない血気盛んな、面倒見の良い侠客で、まあ格好いいのなんの。ちゃんと団七や徳兵衛が駆け出しに見える貫禄もあり立派。

雀右衛門のお辰は、月初に見たときはあまりニンじゃないのかな、と思ったが楽日には女侠客らしい粋であだっぽい色気もあるいい女になっていた。
橘三郎の義平次も嫌らしい薄汚い爺で団七でなくても嫌悪感を感じるような男を熱演。吉右衛門に一歩も譲らない、殺しの場の熱闘とでもいおうか、が素晴らしかった。

種之助の磯之丞、アホぼんのふわふわした感じを懸命に出していた。この頃女形もやってる経験が生きてたのかも。
米吉の琴浦は可愛げとはんなりした色気もあってまずまず。三婦内で磯之丞に焼き餅を焼くところには気の強そうな面も見えて良かった。
東蔵のおつぎは、もう少し侠客の女房らしいちゃきちゃきした感じがほしいか。なんか普通の堅気のおかみさんみたいだった。

宇野信夫 作
二、巷談宵宮雨(こうだんよみやのあめ)
深川黒江町寺門前虎鰒の太十宅の場より
深川丸太橋の場まで
龍達   芝翫
虎鰒の太十  松緑
おとら  児太郎
おとま  梅花
薬売勝蔵  橘太郎
徳兵衛   松江
おいち   雀右衛門

十七世勘三郎がしばしば龍達を手がけた芝居だそうで、久しぶりの上演。私も生では初めて見た。
怪談なのだが、前半は芝翫と松緑、雀右衛門のやりとりが掛け合い漫才みたいになって笑わせる。
思うに芝翫の気質が明るくて龍達のドロドロした闇や金銭への執着に怖さがあまり感じられず、殺された後の幽霊でさえ笑いを誘ってしまうのではないか。それも一つのやり方かもしれないが。

松緑はこういう世話物のやくざものはすっかりお手の物で、その日暮らしの遊び人の浅はかさや、根っからの悪人ではないが情の薄い、そのくせ女にはもてる太十を好演。
雀右衛門のおいちも、普段あまりやらない役だが、底辺で暮らす女の疎ましさ、余裕のなさから来る酷薄さなどを見せて、新しい顔を見た気分。
児太郎のおとらがただただ哀れ。
梅花の隣家の女房が世話好きで、でもどこか投げやりな長屋の女房。
橘太郎の薬売りが怪演。よいよいで体の利かない様子がリアルで、本人は全く悪人ではないのに、どこか不気味で、可笑しいのにちょっと怖い。


nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:演劇

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。