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藤田嗣治展 [美術]

東京都美術館
http://foujita2018.jp/
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藤田嗣治(レオナール・フジタ 1886-1968)の没後50年記念の回顧展。正直言うとあまり好きなタイプではない。(と言う割にはなんだかんだ展覧会は見ている気もするけど。)ただ今回は、ごく初期の作品や、あまり見たことのない風景画など多彩な展示作を観ることができたのはよかった。

本当に初期の絵では、師の黒田清輝の影響が感じられる絵や、写実的な父親の肖像画などもあって、へええ、と新鮮。まさしく、こんな時代もありました、的な。

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二人の少女 1918年 油彩・カンヴァス
これも、言われないとフジタの絵と思わないかも。ちょっと不気味な感じさえする。

フジタはモジリアーニと交流があったそうで、その頃の絵にはモジリアーニと雰囲気が似てる作品もあった。若い頃のいろいろな試行錯誤が見えて面白かった。

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エミリー・クレイン=シャドボーンの肖像 1922年 油彩、銀箔・カンヴァス
背景の部分が銀箔。使い方が琳派の屏風絵のよう。そして、衣装やソファ、クッションなどの質感が素晴らしい。これまであまりフジタのそういう細かい描写に気をつけて見たことがなかったが、この作品以外でも布地に対する繊細な表現力が素晴らしい。

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タピスリーの裸婦 1923年 油彩・カンヴァス
フジタの代名詞「乳白色の裸婦」像の一枚。なめらかな肌もさることながら、この絵も背景の布やシーツの描写が素晴らしく美しい。

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私の夢 1947年 油彩・カンヴァス
フジタは猫もたくさん描いている。自画像に猫を抱いた姿もある。これは眠る裸婦の周りを擬人化された猫や狐、兎などが取り囲む不思議な絵。戦後最初に描かれた裸婦だそう。

戦後、戦争画(「作戦記録画」とこの展示では説明)などを巡って戦争責任論があったりして日本に嫌気がさしたフジタは再び渡仏。後にフランスに帰化、カトリックの洗礼も受け、二度と日本には帰らなかった。

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フルール河岸 ノートル=ダム大聖堂
1950年 油彩・カンヴァス
ちょっと見るとユトリロかと思うような。不自然にいびつな建物がそこはかとない不安感を誘う。

波乱の人生。日本を捨てたと言われ、日本に捨てられたと言い。作品からは日本への郷愁などは全くと言って良いほど感じられない。晩年はランスで教会の製作にも携わり、宗教画も多く手がけた。

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礼拝 1962-63年 油彩・カンヴァス
最晩年の作品。自らと夫人を描き込んでいる。伝統に則った聖母像のようでもあり、しかしどこか不穏な空気も感じてしまう。

好きか嫌いかと聞かれればどっちかというと嫌いなんだけど(なぜと聞かれても困る)、でも見ておいてよかった。

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縄文展 [美術]

東京国立博物館
http://jomon-kodo.jp/
「縄文―1万年の美の鼓動」
今何やら縄文がブームらしい。1万3千年前(これも諸説あるらしい)から約1万年も続いた縄文時代の実態はまだ謎が多いようだ。そりゃあ、文字もなかった頃だし、残された遺物も多くはない。学術的な研究はまだまだ途上なんだろうけれど、アート好きとしては様々な土偶や土器などの造形を楽しむのみ。

何年か前、土偶展があって、その時もかなり出品されていたが、今回は土偶の他に土器や装飾品、道具類も展示されていて縄文時代の造形美を俯瞰できる。
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国宝火焔型土器 縄文中期 前3000~前2000年頃
縄文土器を代表する、縄文と言ったらこれ!と言うくらい有名。一体これほどの装飾がなぜ必要だったのか。単なる器ではなく、呪術などに使われたのか、謎はつきないが、とにかく面白い。岡本太郎でなくても、「芸術は爆発だ!」と言いたくなる。

土偶はどれも個性的。一口に土偶と言ってもいろんな形や大きさがある(1万年という幅があるのだから当たり前だが)。

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国宝 土偶縄文のビーナス
「縄文のビーナス」と呼ばれている、のかと思っていたら、一応これが正式名称らしい。ふくよかに張った体つきは多産の象徴か。

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土偶 合掌土偶
口の周りに髭っぽい装飾。これは男性かしら。兵士のようでもある。

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顔面把手
か、かわいい。なんなんだこれは。
今回面白かったのは、人型の土偶だけでなく、猪や茸などの形をしたものもあったこと。必ずしも呪術的な目的だけでなく、もしかしたら単なる楽しみに手慰みとして作られたのかも?

民藝運動家の柳宗悦とか、岡本太郎などの芸術家が縄文芸術に惹かれて所蔵したというのもなんとなくわかる気がする。綺麗とか芸術品とか言うより、なんとも言えないパワーが発せられているような気がするのだ。

縄文時代がどんな時代だったのかという考古学的なことはわからないが、ともかくどの作品も面白くて見飽きなかった。


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平塚運一展 [美術]

千葉市美術館
http://www.ccma-net.jp/exhibition_01.html

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木版画家平塚運一の回顧展。
1895年生まれで、102才で亡くなるまで創作を続け「木版画の神様」と呼ばれたという。恥ずかしながら知らなかった。
従来の浮世絵などの木版画は絵師、彫り師、摺師がそれぞれいて別業だったが、平塚は全てを自分でやる「創作版画」にこだわり生涯それを貫いた。どちらにも良し悪しはあって、特に彩色版画だとっ専門家の卓越した腕が冴える分業の方が繊細な表現では勝る気がする。そのせいか知らないが、画業の後半ではほとんど彩色版画はなくなり、ほとんど墨一色で勝負する作品になっていく。

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《東京震災跡風景 浅草》 大正12年(1923)
関東大震災で失われた東京の風景を残す運動に参加。

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《机上小禽》  昭和3年(1928)

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《雲崗瑞雲、蒙疆》 昭和32年(1957)
何度も墨を足して刷りを重ねた黒と白の対比が鮮やか。棟方志功を教えたというのがわかるような。

驚くのは、60代半ばを過ぎて渡米、以後現地でも木版画を指導しながら創作活動し新しい境地を開いていること。

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《鏡No.Ⅰ 波斯更紗》  昭和45年(1970)
渡米後の作品。一連の裸体画シリーズは健康的なエロスを感じさせて、70代に入っても衰えるどころかますます旺盛な制作意欲に感心する。

晩年帰国後も102才で没する直前まで制作を続けた、まさに木版画の神様。圧倒された。


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モネ それからの100年 [美術]

横浜美術館
https://monet2018yokohama.jp/

単純にモネ展と思って行くとちょっと肩すかしを食らうかも。
もちろんモネの作品もあるけれど、過半数はモネ以降の作家達の作品。タイトルにそれからの100年とあるとおり、モネの後に続くアーティストの直接間接にモネの影響を受けたであろう作品をモネと並べることで、現代に至るモネの革新性や影響力を見せるのが趣旨の展覧会。
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モネ《ヴィレの風景》 1883年

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中西夏之《G/Z 夏至・橋の上 To May VII》 1992年

直接的に似ているとか模倣とかではないだろう。ただ、空気中の光の反射を捕らえようとする作家の目に親近感がある。

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モネ《霧の中の太陽》 1904年

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ゲルハルト・リヒター《アブストラクト・ペインティング(CR845-8)》 1997年 
上の2枚が空気とすればこちらは水中の光だろうか。揺らぎ、輝き、手に取ることのできない光。

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ルイ・カーヌ《睡蓮》 1993年
モネの睡蓮シリーズに触発されたという作品。微妙な筆致や色の違う絵を並べることで、モネの一連の睡蓮の反復と変容に迫る。

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鈴木理策《水鏡 14, WM-77》(左)《水鏡 14, WM-79》(右) 2014年
これは写真だけれど、水面に映った空と、水面に浮かぶ蓮の葉が溶け合うように美しい。

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サム・フランシス《Simplicity(SEP80-68)》1980年
オランジュリー美術館のモネの絵に魅了されたフランシスが描いた作品。そういわれてみれば、なるほどと思う。

この他、リキテンシュタイン、ウォーホール、ロスコなど有名作家もあり、絵画だけなく映像もあったり盛りだくさん。
モダンアートというと難しく構えてしまうが、モネを切り口にしてあるためか、少なくとも見た目に色も綺麗な作品が多くて、理解できずとも楽しめた。子供向けの解説もあってこれが親切で大人にも重宝。モネを足がかりにしたモダンアート入門の展覧会とも言えそう。
もちろん、モネだけでも25点あるので、モネが好きな方はお見逃しなく。


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エッシャー展 [美術]

上野の森美術館(終了)
http://www.escher.jp/

いわゆるだまし絵で知られるエッシャー(1898-1972)の大回顧展。
私もだまし絵しか知らなかったが、今回は聖書を題材にした絵や、風景画、人物画などもあって、へえ、と新鮮だった。

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《バベルの塔》1928年

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《カストロヴァルヴァ、アブルッツィ地方》1930年
どちらも別にだまし絵ではないのだが、どこか不思議な感覚が。シュールレアリスムなんだろうか。

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《椅子に座っている自画像》1920年
人物画もある。これはちょっとヴァロットンの作品を思い出した。他の作品に比べて人物画は描線があまり細かくなく線がくっきりしている印象。

もちろん、エッシャーといえば、と言う不思議な構造の絵や、だんだん変容していくシリーズもたっぷり。
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《滝》1961年
う~ん、何度見ても不思議。どうやって考え出すんだろう。

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《メタモルフォーゼⅡ》(部分)1939-1940年
これは長い長い絵の一部分。文字通り変容して循環する。

今回、まとめてエッシャーの作品を初めてちゃんと見て、デザインや発想の特異さと共に、版画の技術の高さ多様さに改めて驚いた。驚異的に精密な彫りの技術などまさに開いた口が塞がらないレベル。
面白い展覧会だった。

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松竹座7月大歌舞伎夜の部 [舞台]

元禄忠臣蔵
一、御浜御殿綱豊卿(おはまごてんつなとよきょう)
徳川綱豊卿    片岡 仁左衛門
富森助右衛門   市川 中車
中臈お喜世    中村 壱太郎
小谷甚内     片岡 松之助
上臈浦尾     上村 吉弥
御祐筆江島    中村 扇雀
新井勘解由    中村 歌六

何年前だったか、中車の襲名披露の南座公演でやるはずだったのが仁左衛門休演で梅玉に変わった演目。やっと中車と仁左衛門の共演が実現した。

仁左衛門の綱豊卿は当たり役。ちょっと皮肉っぽい物言いや、喜世への優しげな様子、助右衛門の心底を探ろうとあの手この手で問い詰める、余裕たっぷりな様子から、思わぬ反撃を受けての一瞬見せる激昂まで様々な表情を見事な台詞回しと、目の動きで見せていく。その的確さに舌を巻く。

中車ははじめは綱豊の手のひらで踊らされる猿のように追い詰められながら必死にかわそうとする。汗だくの熱演。その必死さが、なんとか仁左衛門に対応しようとする中車自身の姿とオーバーラップして感動してしまった。こういう書き物なら中車も十分歌舞伎役者としてみられるようになった。凄いと思う。

扇雀の江島が良い。いかにも頭の良い御右筆という才女で、サバサバした様子もあって扇雀に似合いの役。
壱太郎のお喜世は可憐で初々しい。初演の時はキャンキャンうるさい感じがしたが、しっとりと落ち着いた。
そして歌六の勘解由が落ち着きと威厳ある様子で舞台を締める。
吉弥が浦尾なのはちょっともったいない気も。
     
二・口上

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三、女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)
河内屋与兵衛   染五郎改め松本 幸四郎
七左衛門女房お吉  市川 猿之助
山本森右衛門   市川 中車
芸者小菊    市川 高麗蔵
小栗八弥   中村 歌昇
妹おかち   中村 壱太郎
刷毛の弥五郎   大谷 廣太郎
口入小兵衛   片岡 松之助
白稲荷法印   嵐 橘三郎
皆朱の善兵衛   澤村 宗之助
母おさわ    坂東 竹三郎
豊嶋屋七左衛門  中村 鴈治郎
兄太兵衛     中村 又五郎
河内屋徳兵衛   中村 歌六 

与兵衛を当たり役とした仁左衛門の指導を受けて新幸四郎が与兵衛を上方の地で演じる。高麗屋の芸だけでなく、松嶋屋の芸も受け継ごうという幸四郎の意欲が表れた演目選定。
既に何演目か、しっかり自分のものにしている印象の幸四郎の与兵衛。子供のようにくるくる変わる表情、自分を制御できない幼さ、わがままさ、あかん奴と思っていても親や兄弟やお吉が面倒を見てしまう「ほっとけない子」が上手く出ている。

だが今回、これまでと違ったのは、今まで女殺油地獄を見て、徳兵衛おさわの為に泣いたことはあっても与兵衛の為に泣いたことはなかった。でも今夜の幸四郎与兵衛には泣けた。甘えたで乱暴者で救いのないアホだけど、でもこんなことになるなんて自分がいちばん驚いているような、どこでどう掛け違ってしまったのか、観ていて苦しかった。
何度も何度も引き返すチャンスはあったのに。勘当されて家を出たときの寂しげで切ない表情。今詫びを入れて心を入れ替えたら、と本人も思ったはずのあの顔。お吉に借金を頼む、親に迷惑かけたくないという真情がお吉にちゃんと届いていたら。そこに脇差しがなかったら。絶望して刀にふと目をやった瞬間、スイッチが入ってしまった。自分でももう止められない、ブレーキのない気持ちの暴走の。切なくて苦しくて、お吉の「死にとうない」が恐ろしくて悲しくて、耳をふさぎたくなった。
ただ可哀想とか哀れとかいう同情ではない、仁左衛門が見せたような狂気でもない、そこら辺にいるあんちゃんが闇に落ちていくのを目の当たりにしているような怖さ、誰か止めて止めて、と思う苦しさを感じた。

猿之助お吉は、ちょっと年増の色気もある、面倒見の良い堅気の女房の雰囲気がちゃんとあって素敵だった。前にやった吃又のおとくも良かった。こういう役ももっと観たい。

歌六の徳兵衛が、ちょっと気の弱い、継子故に与兵衛に厳しく当たれない優しさと切なさが溢れる。
竹三郎のおさわも徳兵衛に遠慮しながらも与兵衛を見捨てきれない母の情の悲しさを見せる。

回りも揃って、襲名にふさわしい大舞台となった。
弁慶と与兵衛という全く違う二役を見せた幸四郎の華がますます大きく開いたように感じた。


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松竹座7月大歌舞伎昼の部 [舞台]

高麗屋襲名披露公演の松竹座。今月は染五郎は出演せず、白鸚と幸四郎の二人。

一、廓三番叟(くるわさんばそう)
傾城千歳太夫 片岡 孝太郎
新造松ヶ枝  中村 壱太郎
太鼓持藤中  中村 歌昇

なぜこの暑い盛りに正月の郭が舞台の演目を出すのか、わけがわからないけど、そこに目をつむればたおやかで押し出しも良くなった孝太郎の傾城がしっとりとしてよく、壱太郎の新造も愛らしい。こういう柔らかい役はどうかと思った歌昇もやや顔芸気味なのを除けばまずまず軽さもあって悪くない。短いが華やかな幕開け。

菅原伝授手習鑑
二、車引(くるまびき)
松王丸   中村 又五郎
桜丸    中村 扇雀
杉王丸   中村 種之助
金棒引藤内   中村 寿治郎
藤原時平公   坂東 彌十郎
梅王丸   中村 鴈治郎

又五郎に扇雀、鴈治郞という中堅での三兄弟。実力の割に役に恵まれない印象のあるこの年代のこれからを占う一幕でもあった。
鴈治郞の梅王丸はなんといっても見た目が、フィギュア下さい、と言いたくなる。コロンコロンしていて可愛い。力感もあってまずまず。
扇雀の桜丸はもう少し柔らかみがほしいが、すっきりと品が良い。
そして又五郎の松王丸が力強く堂々として立派。
ほんとにこの世代の人たちにもっと頑張ってもらわないと、10年後といわず数年後の歌舞伎界が危ないんだから、もっともっと機会を与えてあげてほしいと思う。
彌十郎の時平もしっかりして立派だが、古怪さがほしいところ。

三、河内山(こうちやま)
松江邸広間より玄関先まで
河内山宗俊  幸四郎改め松本 白鸚
高木小左衛門  坂東 彌十郎
宮崎数馬   市川 高麗蔵
腰元浪路   中村 壱太郎
北村大膳   松本 錦吾
松江出雲守   中村 歌六

今月の白鸚の襲名披露狂言。
白鸚独特の台詞回しは苦手だが、この人らしい愛嬌とおかしみのある河内山。
歌六の松江候とは意外な配役だが、さすがに何でもこなす。とは言え、やはりニンではないようで、馬鹿殿には見えずちょっと苦しい。
彌十郎以下回りも手堅く揃うが、襲名披露としては物足りない気がしないでもなかった。

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四、歌舞伎十八番の内 勧進帳(かんじんちょう)
武蔵坊弁慶  染五郎改め松本 幸四郎
源義経    片岡 孝太郎
亀井六郎   市川 高麗蔵
片岡八郎   中村 歌昇
駿河次郎   中村 種之助
常陸坊海尊   松本 錦吾
富樫左衛門   片岡 仁左衛門

1月の襲名公演でも出した勧進帳の弁慶。幸四郎は1月より力みが減って、でも力強く忍耐強く、そして人一倍情のある弁慶。スーパーマンじゃないけど皆がついて行きたいスーパーリーダー。1月より山伏問答がきっちりとして良くなった。延年の舞は前も良かったけどさらに余裕が出来て素敵。最後の六方までゆるみなく引き締まって、豪快。父や叔父とも違う十代目幸四郎の弁慶が見えてきたのかもしれない。

さらにまたニザ様の富樫の素敵なこと!端正で涼やかで、しかし職務遂行能力半端ないのに人情味が篤い。こんな上司がほしいナンバーワン、みたいな。吉右衛門の重厚な富樫とはまた違う、いかにも切れ者の、鋭く冷静沈着な能吏らしい富樫。

意外と言っては失礼だが孝太郎の義経も良かった。個人的には女形の義経は好きじゃないんだけど、品があって悲劇の貴公子の影と御大将の威厳もさらりとうかがわせたあたり上出来。

襲名披露らしいいい舞台だった。


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