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二月大歌舞伎 昼の部 [舞台]

歌舞伎座

二ヶ月続きの高麗屋襲名披露。

一、春駒祝高麗(はるこまいわいのこうらい)
工藤祐経 梅玉
曽我五郎 芝翫
大磯の虎  梅枝
喜瀬川亀鶴  梅丸
化粧坂少将  米吉
曽我十郎  錦之助
小林朝比奈  又五郎

「対面」の舞踊版と言えば話が早いか。短い一幕だが、華やかで楽しく、襲名披露の幕開きにふさわしい。(正直言って、先月がこれだったら良かったのに、と思う)
梅玉の工藤は普通の対面でも見ているが、あまりニンでもなさそうなのに、ちゃんと見せるのがさすがで、風格がある。
又五郎の朝比奈が勇壮。
錦之助の十郎、芝翫の五郎がニンにあって曾我兄弟らしい。
傾城三人が若手で、中で梅枝が既に貫禄を見せるのが舌を巻く。

二、一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)
檜垣
奥殿

一條大蔵長成  染五郎改め幸四郎
常盤御前   時蔵
お京   孝太郎
吉岡鬼次郎  松緑
茶亭与市   橘三郎
女小姓    宗之助
八剣勘解由   歌六
鳴瀬   秀太郎

新幸四郎の大蔵卿は、檜垣ではとにかく可愛い。
難しいのは奥殿で、月初に見たときは阿呆と正気の切り替えを意識するあまり、かえって不自然さがあったのがなくなって、スムーズかつメリハリのついた芝居に。物語の面白さは上出来。もちろん叔父の域には届かないがとっかかりは掴んだ。再演に期待。

時蔵の常盤は美しく、運命に翻弄される女の悲しさを見せ、一方で鬼次郎夫婦に対する主人としての格も見せる。

松緑の鬼次郎は本役。凜々しく、忠義一途の武張ったもの堅さが似合う。
孝太郎のお京も、きっちりとした武家女房の様子を行儀良く。


歌六さんの勘解由は、他の役者の三枚目敵みたいなのとはちょっと違い、普段は有能な執事として一条家を取り仕切ってきたんだろうなという感じで、鳴瀬と夫婦なのもうなずける。

今回、印象的だったのは秀太郎の鳴瀬。
檜垣で、お京の舞を嬉しそうに見ている大蔵卿を、鳴瀬が慈しむように見ていた。こうやって長い年月、ご主人がどうしたら機嫌良くしていられるか心を配って勤めてきた人なんだな。それが作り阿呆と知った衝撃はどれほどだったろう。嬉しかっただろうか。自害する理由は夫の不始末だけではない。もう自分はいなくてもいい。そう思った。思えてしまった。その安堵と空しさと。それで鳴瀬は死を選んだのだろう。と思えた秀太郎さんの鳴瀬。事切れる前に鳴瀬が大蔵卿の方を見上げる。でも大蔵卿は扇で顔を隠していて見えない。いつもそうだと思うけど、今月は顔を見せてあげてほしかった、と思った。

三、歌舞伎十八番の内 暫(しばらく)
鎌倉権五郎  海老蔵
鹿島入道震斎  鴈治郎
那須九郎妹照葉  孝太郎
成田五郎   右團次
小金丸行綱  彦三郎
加茂三郎   坂東亀蔵
桂の前    尾上右近
大江正広   廣松
埴生五郎   弘太郎
荏原八郎   九團次
足柄左衛門  男女蔵
東金太郎   市蔵
局常盤木   齊入
宝木蔵人   家橘
加茂次郎   友右衛門
清原武衡   左團次

海老はでっかいのはでっかくて、まあさすがにこういうのはこの人でないと、とは思うものの、なんか品がなくなってるような感じがして気になった。いくら荒事でもやたら目をむいて見せれば良いってもんじゃない。稚気と行儀の悪さは違う。注意してくれる人がいないのか。。。

周りは揃って適材適所な配役。
特に彦三郎の小金丸が元気の良い声が前髪らしく凜々しい。
     
北條秀司作・演出
四、井伊大老(いいたいろう)
井伊大老  吉右衛門
お静の方  雀右衛門
昌子の方  高麗蔵
宇津木六之丞  吉之丞
老女雲の井   歌女之丞
仙英禅師   歌六
長野主膳   梅玉

前回播磨屋さんが上演した時よりはかなりの短縮版。
幕開きは上屋敷での正室昌子と主膳の二人。昌子が主膳の行きすぎた安政の大獄の懲罰をいさめるも、主膳は耳を貸さない。
高麗蔵の昌子が正室らしいおっとりとした様子と真っ直ぐな気質を見せてなかなか。
梅玉の主膳が自らも鬼と称する冷徹さを見せる。ゾクッとするほどの冷たさ。さすがの存在感。だがせっかく梅玉さんが出るのなら、播磨屋との場面が見たかった。ちょっともったいない。

だが見せ場は雛祭りの場面。
この場面では何も劇的なことが起こるわけではないのに、ずっと胸が締め付けられてじわじわ泣ける。英雄ではない一人の男の井伊直弼と彼に寄り添う静。支え支えられる二人の絆の強さ、愛の深さ。少なくともあのひととき二人は幸せなのだと強く思う。
あんなに大きくて包容力に溢れる播磨屋の直弼が、愛する女の前でだけ弱音を吐いて涙を見せる。辛い時期を共に過ごした二人にしかわからない絆の強さ。二人の人生が凝縮されたこのひとときなのなんと愛おしく濃厚なことか。明日を知るのは観客だけ。時間よとまれ。

にしても播磨屋のあの台詞術はどうだ。死ぬに死ねないという辛さ、彦根に帰りたいと言う切ない思い、誰もわかってなどくれないと言う絶唱、そういう思いを全部覆って愛する人への優しさと思いやり、どの言葉もその気持ちが溢れて血が流れて、心に流れ込んでくる。泣けて泣けてしようがなかった。

京屋さんのお静がまた可愛くていじらしくて。直弼を愛することだけで生きている女の儚さと寂しさが溢れる。前回も良かったけど、襲名で一回りも二回りも大きくなって、本当に良い播磨屋さんの女房役になられた。うれしいなあ。

歌六の仙英禅師が飄々とした味と深い洞察力を見せる。
歌女之丞の雲の井もお方様大事の無邪気で可愛い老女。
周りも揃って短くとも深い深い味わいの一幕だった。
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ブリューゲル展 [美術]

東京都美術館
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ブリューゲル展 画家一族 150年の系譜
http://www.ntv.co.jp/brueghel/

去年からヒエロニムス・ボスの展覧会とか、バベルの塔展とか、なんとなくブリューゲルを見る機会が多い。今回はブリューゲル一族展として、16世紀フランドルに生まれたピーテル1世からひ孫までの一族の絵を一堂に集めたもの。

祖とも言えるピーテル1世は1525(30)~1569.改めて年紀を見ると意外に若死に。あの「バベルの塔」など晩年とはいえ40代の作と思うとその完成度に驚く。

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ピーテル・ブリューゲル1世と工房
キリストの復活 1563年頃

父、ピーテル1世がなくなったとき、息子のピーテル2世も、ヤン1世もまだ幼かった。二人は父の工房で父の画法を学び、父の絵のコピーも多く描いてそのおかげで父の絵が広まった。

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ピーテル・ブリューゲル2世
野外での婚礼の踊り 1610年頃
父ピーテル1世も書いた農民の風俗を息子の2世も繰り返し描いた。あけすけで、美化されてもいない農民達の様子が楽しげに描かれる。それまでの例えばイタリア・ルネッサンス絵画にはなかったジャンル。

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ヤン・ブリューゲル1世
ヤン・ブリューゲル2世
机上の花瓶に入ったチューリップと薔薇 1615-1620年頃
弟のヤン1世も、兄同様父の作品に倣ったが、とりわけ花の絵を得意として「花のブリューゲル」とも呼ばれた。この絵はその息子ヤン2世との共作。

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アブラハム・ブリューゲル
果物の静物がある風景 1670年
アブラハムはヤン2世の息子。

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ヤン・ファン・ケッセル1世
蝶、カブトムシ、コウモリの習作
蝶、カブトムシ、コウモリ、カマキリの習作 1659年
ヤン・ファン・ケッセル1世はヤン2世の甥。
アブラハムとヤン・ファン・ケッセル1世は従兄弟同士で、ピーテル1世からはひ孫に当たる。
大理石に描かれているのが珍しい。観察眼が素晴らしいのが血筋だろうか。

ひ孫の代まで一族がずっと画家というのは、西洋では珍しいのでは。日本では、狩野派みたいに養子取っても家業として画家ってあるけど。

ひ孫に至るまでそれぞれが非凡な描写力を持って、父祖から引き継いだ工房を守ってブリューゲル派とも言うべき画風を確立した、西洋画史上まれに見る一族ではないかしら。孫世代まではともかく、ひ孫となるとあまり見る機会もないので、貴重な展覧会。





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熊谷守一展 [美術]

東京国立近代美術館
http://kumagai2017.exhn.jp/

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熊谷守一(1880‐1977)の没後40年記念の回顧展。
熊谷守一と言えば、晩年の切り絵か版画のような単純化された猫や花の絵しか知らなかったので、若い頃のゴッホのような、初期の暗い色調の厚塗りの作品に驚き。さらに、先述のような熊谷と言えばのスタイルは70代以降と知ってさらにびっくり。変遷が面白いがやはり猫の絵が可愛い。

展示は年代順。
第一章「闇の守一」1900年代~10年代
闇の中でのものの見え方に興味があったというこの時期の絵は、闇と光というより闇と闇といった感じで本当に色が暗い。
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《 蠟燭 》1909年
目をこらさないと何が描かれてるか見えない。この闇の中に熊谷は何を見ていたのだろう。

第二章「守一を探す守一」1920年代~50年代
この時代になるとまるでフォービズムのような人物画から、やや単純化されたフォルムの風景画に遷ってくる。逆光に浮かぶ人物の輪郭に見える赤い線が、山の稜線などを彩る線に結びついたのだという。
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《人物》1927年頃 

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《風景》1940~50年頃


第三章 「守一になった守一」1950年代~70年代
晩年とも言える70歳代になってついに、熊谷と言えば誰もが思う作風に到達する。第二章から第三章への変化は素人目には唐突にも思えて不思議なんだけど。

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《ハルシャ菊》1954年

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《猫》1965年
晩年は病のせいもあって、家からあまり出ずに庭で虫や花をじっと観察して絵を描いたという。そういう生き物への視線が優しい。

若い頃は貧困にも苦しみ一時は故郷に帰って材木業に従事したり、また子供に先立たれたり、苦難の中で描き続けて老年になってこういう明るい色彩と穏やかで単純にも見える描写に至った心中は想像できない。見る方はただ「あら可愛い」とか思うだけだけど。
正直、晩年の絵だけでも十分楽しめた。



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1月その他 [舞台]

もう過ぎちゃったけど、1月に見たものあれこれ。

坂東玉三郎 初春特別舞踊公演 松竹座
正月から目の保養。
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初春文楽公演
訳あって、夜の部のみ。織太夫襲名披露は2月に持ち越し。
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新春浅草歌舞伎
松也の綱豊興が予想外に良かった。でも種ちゃんの三番叟のキュートさに持って行かれた。
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神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世の驚異の世界展
Bunkamuraザ・ミュージアム
去年のアルチンボルト展でも名前が出てきた、アルチンボルトを始めとして宮廷に芸術文化の花を咲かせた皇帝の収集品。ブリューゲルなども。
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色絵展 [美術]

出光美術館
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器の種類はいろいろあるけど、見て楽しいのはダントツで色絵だと思う。
色絵にももちろん鍋島、九谷、伊万里、京焼などなど種類があって、それぞれに特徴があるのだけど、そういう違いとかはおいといてとにかく柄や形が楽しめる。

数ある色絵の中で、個人的に好きなのはやっぱり鍋島。藩窯として幕府献上品に作られただけに一定の規格があり、柄も品があって綺麗。
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色絵花筏文皿 鍋島藩窯

一方、九谷は大胆な大柄が目をひく。意外と使われる色は限定されている感じなのに、黄色と青や緑、紫、と言った取り合わせがインパクト大。
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色絵蓮葉に菱文大皿 古九谷
前はそういう九谷がちょっと苦手だった。でもこの頃はそのデザインが斬新で面白いなと思う。もっとももし手元に置けるなら鍋島を選ぶけど。

鍋島と同じく九州の伊万里は、鍋島ではほとんど使われない金襴手が豪華。海外に輸出されたのもうなずける。また古伊万里がヨーロッパの磁器に影響を与えたと言うのも。
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色絵菊花文輪花皿 古伊万里

そして色絵と言って忘れてはいけないのが仁清。柄もだけど、形も凝ってる。
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色絵梅花文四方香炉 野々村仁清
上に兎、横に象。柄は梅。なんてファンタスティック!何年か前別の展覧会で見たときも「きゃ~可愛い~!」って惚れ込んだ品。再会できて嬉しい。

他にも乾山や仁阿弥道八などの京焼や柿右衛門、海外のマイセンやウースター、近現代の板谷波山や富本憲吉らまで、様々な色絵の器を見ることができて、本当に楽しい。焼き物にあまり興味がなくても楽しめると思う。
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壽 初春大歌舞伎 夜の部 [舞台]

歌舞伎座
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一、双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)
角力場
濡髪長五郎  芝翫
藤屋吾妻   七之助
仲居おたけ  宗之助
茶亭金平   錦吾
山崎屋与五郎/放駒長吉  愛之助

芝翫の濡髪はそこそこ貫目もあり押し出しも立派な大関。でもなんか暗い。少年の放駒に対する大人の余裕という対比まで行かないからかもしれないが。ちょっと八百長のフィクサーみたいで、ううん?と思ってしまった。
愛之助は与五郎はじゃらじゃらして情けないけどお育ちの良いぼんぼんの雰囲気がよく出た。
長吉の方も世間知らずな若者の一本気な真っ直ぐさがあってなかなか。
七之助がこの吾妻に出るのはもったいないくらいだが、綺麗で引っ張りだこの人気ある遊女の様子がぴったり。

二・口上
襲名の三人を含め22人が並ぶ。仕切りは藤十郎。もはや口上芸と言っても良い、独自の厳かさ。いつものように左團次が笑いを取った以外は、人数が多くて一人が短めなせいかわりと真面目。

三、歌舞伎十八番の内 勧進帳(かんじんちょう)
武蔵坊弁慶 染五郎改め幸四郎
源義経   金太郎改め染五郎
亀井六郎  鴈治郎
片岡八郎  芝翫
駿河次郎  愛之助
常陸坊海尊  歌六
富樫左衛門  吉右衛門
     
今月いちばんの見もの。
主役はもちろん新幸四郎の弁慶なのだが、その前に立ちはだかる叔父吉右衛門の富樫がすさまじい。最初の名乗りからして朗々と謡う台詞に酔う。巌の如くそびえ立つ関守。力で押し通すのは不可能と思わせる。
義経一行と対峙しても、頑として通さない、一分の隙も見せない鉄壁の守り。
山伏問答の口跡のキレの良さ見事さは比類ない。畳みかけるように弁慶を詰問する突っ込みの鋭さ、何も見逃すまいとする視線の厳しさ。そしてさらに強力を不審と見て引き留める台詞のの裂帛の気迫。その上で、全てのみ込んで見逃す情の篤さ。
弁慶が義経を打擲する時、富樫が刹那顔を背ける。見るに堪えないというように。この瞬間富樫の心が動いたのか。岩のように堅かった富樫の心に穴が空いた瞬間を見たようで、こちらも目を逸らしたくなる。義経より弁慶より、心痛めたのは富樫なのだと。「もはや折檻したもうな」でぼろぼろ泣いてしまった。こんなの初めて。

幸四郎を継いだ甥に、彼の祖父、自分の実父初代白鸚の富樫を全力で見せる。ただの叔父甥の絆だけではなく、歌舞伎の将来を託そうとする吉右衛門の強い思いがひしひしと溢れていた。「どうだ、俺を超えていけ」と言わんばかりの。その愛に涙。

そんな最高の富樫に胸を借りる新幸四郎の弁慶は、二度目。月初はなんだか力が入りすぎて逆に雑に感じられるところがあったりして、初演の時の方が好きだなあ、なんて思ったが、叔父の感化を受けてか日増しに良くなった。とにかく叔父に必死で食らいついていこうという姿勢が良い。山伏問答も富樫の口跡の良さにどれほど引っ張り上げてもらったか。全身全霊で義経を守ろうとする強い意志が見えた。もちろんまだ完成形ではない。これから何度もやって自分の弁慶を作っていくだろう、その礎となる弁慶が見えた気がする。

新染五郎の義経は、変声期で発声はやや不安定なのが惜しいが、とにかく美しく、品がある。父と大叔父の大舞台でとにかく行儀良く真っ直ぐに務めていて、先が楽しみ。

 上 相生獅子(あいおいじし)
四、下 三人形(みつにんぎょう)
〈相生獅子〉
姫  扇雀
姫  孝太郎

〈三人形〉
傾城  雀右衛門
若衆  鴈治郎
奴   又五郎

勧進帳で放心してしまって、なんだかぼやーっと見てしまった踊り二題。出演者の方には申し訳ない気持ち。
相生獅子の方は、なんだか久しぶりに綺麗な扇雀見たな~、と言う気がしたがどうだっけ。ツンとして気位の高そうな姫。
一方の孝太郎の方はおっとりと優しそう。でも扇の扱いが下手。もうちょっと稽古して。

三人形は、え、がんじろはんが若衆なのか、と失礼にも驚いてしまったのはともかく、傾城の雀右衛門がたおやかで美しい。ほんとにこの人は襲名以降どんどん綺麗になってきたなあ。
奴の又五郎が切れの良い踊り。足拍子も面白い。
鴈治郞もニンではなさそうだがきちんと行儀良く。
相生獅子の二人も、三人形の三人も行儀良くきちんと踊っていてそれなりに良かったのだけど、あの勧進帳の後では観客の集中力も切れていて、なんだか気の毒だった。どうせだったら「勢獅子」みたいなわあっと派手な踊りで若手も出して盛り上げた方が、打ち出しには良かったのでは?と思った。


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