壽 初春大歌舞伎 昼の部 [舞台]
歌舞伎座
高麗屋三代襲名披露公演の最初の月。
いよいよこの時が来たか、と言う気持ち。特に高麗屋の贔屓ではないけれど、三代揃ってと言うこともあって毎年のようにある襲名でも特別感がある。
一、箱根霊験誓仇討(はこねれいげんちかいのあだうち) 箱根山中施行の場
同 白滝の場
飯沼勝五郎 勘九郎
滝口上野/奴筆助 愛之助
女房初花 七之助
刎川久馬 吉之丞
母早蕨 秀太郎
最初の演目は襲名とは全く関係なし。正月の朝一から幽霊が出てくる仇討ちものって、何だかなあ。しかも仇を討ってめでたしめでたしで終わるならまだしも、これから仇討ちに行くぞー!て幕ってのも欲求不満。
足の悪い夫を車に乗せて妻が引きながら敵を探す。だが敵と出会っても夫が腰が立たないため勝負にならず、それどころか夫と母を守るため妻は連れ去られてしまう。妻は死んで霊魂となって夫らの元へ戻り、その霊験で夫は足が治る。
夫勝五郎の勘九郎が主役と思いきや足が治って立つシーンくらいしか見せ場がない。そこも「立った、立った」ではクララじゃあるまいしと客席で笑いが漏れる。
見せ場が多いのは七之助の妻初花の方で、夫に尽くす優しさと夫と母の命を質に取られての苦悩が見え、幽霊となって(でも夫らは生きてると思ってる)滝壺へ身を投げるまでの所作も見せる。
愛之助が敵と忠僕の二役。敵ではふてぶてしい様子を見せるが、ニンとしては奴の方が合っている。誠実で朴訥とした様子が出てなかなか。
秀太郎が中村屋兄弟と共演とは珍しいが、それほどの見せ場なく、無駄遣い感が。
昔はそれなりに上演された作品らしいが、正直言って、他の演目なかったのかな~。
二、七福神(しちふくじん)
恵比寿 又五郎
弁財天 扇雀
寿老人 彌十郎
福禄寿 門之助
布袋 高麗蔵
毘沙門 芝翫
大黒天 鴈治郎
七人(神)が順番に踊るだけの演目だが、なんとはなしにめでたく楽しい。こっちの方が幕開きによかったのでは。それぞれ拵えがよく似合ってほのぼのだが、なんと言っても大黒天の鴈治郞。福々しいとはこのことかと言うヴィジュアルはもちろん、他の人が踊っているとき後ろで手酌でひたすら飲んでいる様子が、ほんとにお酒入ってるんじゃない?と言う疑惑がもたげるほど。あのフィギュアあったら絶対売れると思う。
三、菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)
車引
松王丸 染五郎改め幸四郎
梅王丸 勘九郎
桜丸 七之助
杉王丸 廣太郎
金棒引藤内 亀鶴
藤原時平 彌十郎
昼の新幸四郎披露狂言。
車引きは三つ子の若さが出た舞台。悪く言えば勢いでやっている。その分、義太夫狂言の面白さは薄め。とはいえ勘梅王のほとばしる熱量、端正さに悲しみをにじませる七桜、二人をなんとかとどめようとする幸四郎松王のぶつかり合いはワクワクする。彌十郎時平には今ひとつ古怪さがほしい。
幸四郎には悪いが、この場の見ものは勘九郎の梅王丸。久々に見た古典の荒事。力強い六法、三本刀を差してぐっと腰を落とした姿の美しさ。これだこれだ、勘九郎で見たかったのはこれだ、と思って胸が熱くなる。
幸四郎の松王丸も、ここではヒールでふてぶてしさと大きさを見せる。ずっと線が細いと言われ続け、三つ子なら桜丸だってできそうなこの人が、しっかりと松王丸として立っていることに感無量。
寺子屋
松王丸 幸四郎改め白鸚
武部源蔵 梅玉
千代 魁春
戸浪 雀右衛門
涎くり与太郎 猿之助
百姓 良作 由次郎
同 田右衛門 桂三
同 鍬助 寿猿
同 米八 橘三郎
同 麦六 松之助
同 仙兵衛 寿治郎
同 八百吉 吉之丞
百姓 吾作 東蔵
春藤玄蕃 左團次
園生の前 藤十郎
花形世代の車引に対し、新白鸚を中心とした寺子屋はまさに大御所が顔を揃えた。
白鸚松王丸は通常運転。この人らしい台詞回しとリアルさ。もうこれはこれでこの人のスタイルとして確立されているのだろう。
魁春の千代が良い。特に戻ってきての源蔵と二人の場面に、まだ吐露できない我が子への思いが滲んで絶品。今時代物の女房をやらせたらこの人がいちばんと改めて思う。
松王と千代の絆が感じられ、「笑うたとよ」「その叔父御に小太郎が」などのやりとりに泣かされた。
梅玉源蔵はやや淡泊な感じもあるが、苦悩と誠実さが見える丁寧な出来。とはいえもう少し心の変化が見えてほしい気も。
雀右衛門戸浪も控えめながら夫を支える。
二人とも新白鸚を立てようとしてるのか、あまり前に出てこない。でも若手じゃあるまいし、ぶつかってこそ大きくなる舞台もあるだろう。
10月の骨折から復帰した猿之助が涎くり与太郎に出て笑いを誘う。
藤十郎が御台所に出るごちそうが襲名ならでは。
高麗屋三代襲名披露公演の最初の月。
いよいよこの時が来たか、と言う気持ち。特に高麗屋の贔屓ではないけれど、三代揃ってと言うこともあって毎年のようにある襲名でも特別感がある。
一、箱根霊験誓仇討(はこねれいげんちかいのあだうち) 箱根山中施行の場
同 白滝の場
飯沼勝五郎 勘九郎
滝口上野/奴筆助 愛之助
女房初花 七之助
刎川久馬 吉之丞
母早蕨 秀太郎
最初の演目は襲名とは全く関係なし。正月の朝一から幽霊が出てくる仇討ちものって、何だかなあ。しかも仇を討ってめでたしめでたしで終わるならまだしも、これから仇討ちに行くぞー!て幕ってのも欲求不満。
足の悪い夫を車に乗せて妻が引きながら敵を探す。だが敵と出会っても夫が腰が立たないため勝負にならず、それどころか夫と母を守るため妻は連れ去られてしまう。妻は死んで霊魂となって夫らの元へ戻り、その霊験で夫は足が治る。
夫勝五郎の勘九郎が主役と思いきや足が治って立つシーンくらいしか見せ場がない。そこも「立った、立った」ではクララじゃあるまいしと客席で笑いが漏れる。
見せ場が多いのは七之助の妻初花の方で、夫に尽くす優しさと夫と母の命を質に取られての苦悩が見え、幽霊となって(でも夫らは生きてると思ってる)滝壺へ身を投げるまでの所作も見せる。
愛之助が敵と忠僕の二役。敵ではふてぶてしい様子を見せるが、ニンとしては奴の方が合っている。誠実で朴訥とした様子が出てなかなか。
秀太郎が中村屋兄弟と共演とは珍しいが、それほどの見せ場なく、無駄遣い感が。
昔はそれなりに上演された作品らしいが、正直言って、他の演目なかったのかな~。
二、七福神(しちふくじん)
恵比寿 又五郎
弁財天 扇雀
寿老人 彌十郎
福禄寿 門之助
布袋 高麗蔵
毘沙門 芝翫
大黒天 鴈治郎
七人(神)が順番に踊るだけの演目だが、なんとはなしにめでたく楽しい。こっちの方が幕開きによかったのでは。それぞれ拵えがよく似合ってほのぼのだが、なんと言っても大黒天の鴈治郞。福々しいとはこのことかと言うヴィジュアルはもちろん、他の人が踊っているとき後ろで手酌でひたすら飲んでいる様子が、ほんとにお酒入ってるんじゃない?と言う疑惑がもたげるほど。あのフィギュアあったら絶対売れると思う。
三、菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)
車引
松王丸 染五郎改め幸四郎
梅王丸 勘九郎
桜丸 七之助
杉王丸 廣太郎
金棒引藤内 亀鶴
藤原時平 彌十郎
昼の新幸四郎披露狂言。
車引きは三つ子の若さが出た舞台。悪く言えば勢いでやっている。その分、義太夫狂言の面白さは薄め。とはいえ勘梅王のほとばしる熱量、端正さに悲しみをにじませる七桜、二人をなんとかとどめようとする幸四郎松王のぶつかり合いはワクワクする。彌十郎時平には今ひとつ古怪さがほしい。
幸四郎には悪いが、この場の見ものは勘九郎の梅王丸。久々に見た古典の荒事。力強い六法、三本刀を差してぐっと腰を落とした姿の美しさ。これだこれだ、勘九郎で見たかったのはこれだ、と思って胸が熱くなる。
幸四郎の松王丸も、ここではヒールでふてぶてしさと大きさを見せる。ずっと線が細いと言われ続け、三つ子なら桜丸だってできそうなこの人が、しっかりと松王丸として立っていることに感無量。
寺子屋
松王丸 幸四郎改め白鸚
武部源蔵 梅玉
千代 魁春
戸浪 雀右衛門
涎くり与太郎 猿之助
百姓 良作 由次郎
同 田右衛門 桂三
同 鍬助 寿猿
同 米八 橘三郎
同 麦六 松之助
同 仙兵衛 寿治郎
同 八百吉 吉之丞
百姓 吾作 東蔵
春藤玄蕃 左團次
園生の前 藤十郎
花形世代の車引に対し、新白鸚を中心とした寺子屋はまさに大御所が顔を揃えた。
白鸚松王丸は通常運転。この人らしい台詞回しとリアルさ。もうこれはこれでこの人のスタイルとして確立されているのだろう。
魁春の千代が良い。特に戻ってきての源蔵と二人の場面に、まだ吐露できない我が子への思いが滲んで絶品。今時代物の女房をやらせたらこの人がいちばんと改めて思う。
松王と千代の絆が感じられ、「笑うたとよ」「その叔父御に小太郎が」などのやりとりに泣かされた。
梅玉源蔵はやや淡泊な感じもあるが、苦悩と誠実さが見える丁寧な出来。とはいえもう少し心の変化が見えてほしい気も。
雀右衛門戸浪も控えめながら夫を支える。
二人とも新白鸚を立てようとしてるのか、あまり前に出てこない。でも若手じゃあるまいし、ぶつかってこそ大きくなる舞台もあるだろう。
10月の骨折から復帰した猿之助が涎くり与太郎に出て笑いを誘う。
藤十郎が御台所に出るごちそうが襲名ならでは。