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吉例顔見世大歌舞伎・夜の部 [舞台]

歌舞伎座

一、仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)
五段目  山崎街道鉄砲渡しの場
 同   二つ玉の場
六段目 与市兵衛内勘平腹切の場

早野勘平   仁左衛門
女房おかる  孝太郎
斧定九郎   染五郎
千崎弥五郎  彦三郎
判人源六   松之助
母おかや   吉弥
不破数右衛門  彌十郎
一文字屋お才  秀太郎

仁左衛門の勘平は一挙手一投足隅々まで磨き上げられた超絶技巧の細工の芸術品のよう。どの目線にも、どの動作にも意味があり、どの場面を切り取っても絵になって美しい。非の打ち所のないと言って良いくらい完璧。でもそこが、息苦しくもある。最初から最後まで「いちいち」決めてこられると、目を離すこともできず、他の役者をちゃんと見ることもできず(苦笑)、かえって芝居に入り込めずに終わってしまった。う~ん、何なんだろう。新聞等の批評も含めて世の中大絶賛なので、私だけですね。私にはにざ様の勘平はちょっとしんどい。もちろん、勘平の心の動き一つ一つが手に取るようにわかって、後悔、絶望、悔しさなどなどに苛まれる勘平の苦しさ辛さにこちらまで身を切られるよう。その生々しさも見ていて辛い一因かも。腹を切って、その後で疑いが晴れての苦しい息の中での儚い笑顔、連判状に名を連ねたうれしさと、仇討ちに加わることなく先立つ悔しさがない交ぜになった泣き笑い、あれは卑怯だ。反則だ。あんな笑顔見せて死んでいくなんて。

孝太郎のお軽がしっとりとして儚げな良い女房ぶり。
秀太郎のお才が花街の女将らしいさばけた中にも、しっかりとした一種の冷徹さも見せてさすがに上手い。
彦三郎の弥五郎が、熱血漢らしく、また勘平との日頃の友情を感じさせる。
染五郎の定九郎は残忍さが薄くニンではないが、造形が美しい。


恋飛脚大和往来
二、新口村(にのくちむら)
亀屋忠兵衛  藤十郎
傾城梅川   扇雀
孫右衛門   歌六

息子役の藤十郎の方が父親役の歌六よりずっと年上という逆転。まあ、歌舞伎では珍しくもないが。
藤十郎は足下は衰えが見えて弱々しいところもあるが、それを上回る二枚目の色気と情の濃さで見せる。台詞よりも、格子の向こうから梅川と孫右衛門のやりとりを見守る表情に父への愛情、自分の行状への悔いなどが表れる。
扇雀が、普段のこの人のきつさがあまりなく、細やかな情を見せて、しっとりと美しい。
歌六の老け役はすっかり堂に入ったもので、老父の切なさ哀れさがたっぷり。でもこの人は同じ老け役でも、「岡崎」の幸兵衛とか「すし屋」の弥兵衛のような気骨のある老人の方が本領のような気もする。

元禄忠臣蔵
三、大石最後の一日(おおいしさいごのいちにち)
大石内蔵助   幸四郎
磯貝十郎左衛門   染五郎
おみの  児太郎
細川内記   金太郎
堀内伝右衛門   彌十郎
荒木十左衛門   仁左衛門


高麗屋三代が顔を揃え、現名での最後の舞台を務めた。
幸四郎の内蔵助は理知的で懐深い様子。独特の台詞回しも新歌舞伎だとそう気にならない。部下の隅々に気を配り、最期まで見届ける大きさと強さ。花道を歩む晴れ晴れとした表情に「幸四郎」との別れが重なり、見ているこちらも感無量。
金太郎の内記が行儀良く、内蔵助との対面も堂々として爽やか。「名残が惜しいのう」などの台詞が、現名での祖父との最後の芝居という現実とオーバーラップする。
染五郎の十郎左衛門が二枚目で誠実な優男。
彌十郎の伝右衛門は篤実な武士の様子だが、やや情感過多な気もした。

だがこの芝居でいちばん良かったのは児太郎のおみの。幸四郎、染五郎相手のおみのなら今月だと雀右衛門あたりが出ても良いくらいの大役、抜擢と言っても良いだろう。
おみのって難しい役だと思う。一つ間違うと可愛げない娘に見えるし。おそらく今まで見た中で最年少の児太郎は、恐れや不安を押しのけても意志を貫こうとする強さと健気さが、大役に取り組む本人の必死さと重なって、期待以上に胸打たれた。武家の娘の気概と女心の葛藤が哀れで儚い。
まさかこんなに泣かされるとは思わなかった、と言うくらい泣けた。

仁左衛門が荒木十左衛門で付き合うごちそうで華を添える。(でも本当いうと、吉右衛門に付き合ってほしかったね。兄一家の襲名前最後の舞台なんだからさ。)

千穐楽の日には、なんとカーテンコール付き。染五郎と金太郎も呼び出され、客席も一緒に三本締め。
まあ、良いんだけどね。劇の幕切れで内蔵助が粛々と花道を歩むのを見送って「幸四郎さんさようなら」と別れを告げたしみじみとした気持ちをどうしてくれる、と言う思いも正直なところ半分以上ありましたわ。


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