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吉例顔見世大歌舞伎・昼の部 [舞台]

歌舞伎座

今年の歌舞伎座顔見世は、大御所が顔を揃え、当たり役を披露する、顔見世にふさわしい興行だった。さらに、来年1月の襲名を控えた高麗屋三代にとっては現名での最後の舞台となった。

湧昇水鯉滝
一、鯉つかみ(こいつかみ)
市川染五郎本水にて立廻り相勤め申し候
滝窓志賀之助実は鯉の精/滝窓志賀之助  染五郎
小桜姫   児太郎
奴浮平   廣太郎
堅田刑部  吉之丞
篠村妻呉竹  高麗蔵
篠村次郎公光   友右衛門

なんだかここ数年よくかかるようになった演目。中身があるわけでなく、早替わり、本水の中での立ち回り、宙乗りといった外連が売り。
染五郎は前髪の若衆姿は美しく、立ち回りは颯爽と。一粒で二度美味しい的な頑張り。染五郎最後の主演作にこれを持ってきたのは、幸四郎になっても傾いて見せます、の宣言か。
ヒロイン小桜姫の児太郎が赤姫の衣装が似合っておっとりと美しく、染五郎との踊りも綺麗。

二、奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)
環宮明御殿の場
安倍貞任   吉右衛門
袖萩    雀右衛門
安倍宗任   又五郎
八幡太郎義家  錦之助
平傔仗直方  歌六
浜夕   東蔵

昔国立劇場でやったときは吉右衛門が袖萩と貞任の早替わりを務めた。今回は袖萩は雀右衛門。
前半は雀右衛門の袖萩と歌六東蔵のやりとりが泣かせる。隔てを越えられない親の情、隔てがあっても変わらぬ親の愛。雀右衛門がひたすら耐える姿が哀れで切ない。子役も好演。雪が降る中抱き合う母と子。葵大夫の「親なればこそ子なればこそ」の絶唱に涙腺崩壊。

後半どころか3分の2くらい過ぎてやっと現れる吉右衛門。初めはすました顔の中納言。傔仗の懐から書状を抜き取る時にチラリと見せる本性。立ち去ろうとする時聞こえる陣鐘に不審顔で公家と貞任の顔が交錯するのが巧み。義家に見破られてからはぶっ返ってひたすら大きい。
豪傑が妻子との別れに見せる涙がほろ苦く、しかし娘を押しやって戦いへと向かう。赤旗をさああっと投げて肩に掛けて決まった姿の豪快さ立派さ。これぞ古典歌舞伎の英雄!ただただ格好いい~!

歌六の傔仗が謹厳で気難しくも、心の底では娘を思う老人の一徹さと悲しさを体現。
東蔵の浜夕は情がたっぷりだが夫に背くこともできない母の切なさ。
又五郎の宗任が荒々しさがあって立派。
錦之助の義家が颯爽とした貴公子ぶり。

しかしこの演目、歌舞伎だとこの段しかやらないが、せめて朱雀堤の段からやらないとわけわからないよなあ。この段でも始めの袖萩の妹で義家の妻となっている敷妙がやってくるところなどカットしてるし。


河竹黙阿弥 作
三、雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)
直侍
浄瑠璃「忍逢春雪解」
片岡直次郎   菊五郎
三千歳    時蔵
亭主仁八   家橘
女房おかよ  齊入
寮番喜兵衛   秀調
暗闇の丑松   團蔵
按摩丈賀   東蔵

直侍の菊五郎、体にしみこんだ江戸のいい男の魅力が溢れる。さらっとして嫌みがなく、粋でスマートで。もう型とか手順とか、そういう物から解き放たれたような自然さで、江戸の世界を眼前に描き出してくれる。ほんとにしびれる格好良さ。江戸の世話物の面白さはこの人で終わってしまうのではないかと言う恐怖心さえ抱かせる。

時蔵の三千歳はただただ直さんが好き、で生きている。苦界に生きるよすがとしての直さんの存在が自らの存在のすべてで、直さんがいなければ生きていけない。でもそれは決して弱々しいというのでもない。一途という言葉を現したらこうなる、と言う女。ただ儚く美しい。

蕎麦屋の夫婦が家橘と斉入。幹部がやるのは珍しいんじゃないか。記憶がないんだけど。二人ともわざとらしさがなく、淡々とした様子で、だが誠実な振る舞いが好ましい。
丈賀の東蔵も人の良い様子で、すっかり本役。
丑松の團蔵が、凄味があり、後ろ暗い風情が滲む。

いかにも劇団らしい、江戸の世話物の面白さが凝縮されたような舞台。堪能した。


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