コクーン歌舞伎「盟三五大切」 [舞台]
6月13日(月) Bunkamuraコクーンシアター
コクーン歌舞伎第十二弾という。98年以来の再演となる「盟三五大切」だが、今回は勘三郎が休演。橋之助と勘太郎に、菊之助が初めてコクーンに参加、と言う新鮮な顔ぶれが話題。
盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)
串田和美 演出・美術
薩摩源五兵衛実ハ不破数右衛門 中村 橋之助
芸者妲妃の小万実ハ神谷召使お六 尾上 菊之助
船頭笹野屋三五郎実ハ徳右衛門倅千太郎 中村 勘太郎
芸者菊野 坂東 新 悟
若党六七八右衛門 中村 国 生
徳右衛門同心了心 笹野 高 史
船頭お先の伊之助 片岡 亀 蔵
富森助右衛門/家主くり廻しの弥助実ハ神谷下部土手平 坂東 彌十郎
コクーン歌舞伎は、これまで何度か観ているが、まあそれなりに面白いがあまり相性は良くない。今回も、勘三郎主演だったらきっと見ていない。勘三郎抜きで、どこまでやれるか、と言うのが興味の中心。
串田の演出は、紗幕を使用したり、花道代わりに客席通路を使ったり、役者のストップモーション、本水での雨、などこれまでにも見られたものの焼き直しで、それほど目新しくは感じなかった。
毎回音楽の使い方も話題になるが、今年はチェロの生演奏を入れてきた。これが個人的にはどうも受け入れられなかった。チェロだけでなく、スピーカーからもオーケストラ演奏のような曲が流れるときがあるのだが、それが台詞にかぶると五月蠅いだけでなく、どうも西洋音階の音楽と日本語の狂言の台詞とはまるで調性が合わないような不協和音のように聞こえてしようがなかった。これがオペラやミュージカルのように始めからそっちに合わせた台詞回しなら良いのだろうが、この南北作品のようなのだとまったく合わない。よく役者さんはあれにつられずに台詞が言えるなと思ってしまった。チェロの演奏も、たとえば殺しの場面のような緊張感あるところで使われるのだが、同時に歌舞伎本来の附けも入るので、お互いに邪魔してしまう。附けだけで充分。
音楽だけでなく、全体に説明過多というか、過剰というか、台詞にしても演技にしても、そこまでやらないといけないかな、という感じも受けた。特に殺しの場面の残虐さとか。殺し方が執拗で見ててしんどかったなあ。赤ん坊まで殺すし(あ、これは南北の元からある場面ですが)。
でも、役者の芝居は凄く良かった。
特に源五兵衛の橋之助。これまでは色悪をやっても線が細く、素の人の良さが見えて物足りないことが多かったが、今回は後半の殺人鬼と化してからの演技が鬼気迫るようで凄味があって怖いくらい。その分、小万を殺してから雨の中小万の首を抱いて歩く姿に、復讐を遂げてなお募る心の虚ろさと、殺しても消えない小万への愛情に引き裂かれる源五兵衛の悲しさが溢れていた。
橋之助、一皮むけたかな。次は古典歌舞伎でも良いところ見せてほしい。
菊之助の小万も、芸者らしい粋な色気があり、源五兵衛に悪いとは思いながらも三五郎のために金をだまし取る女の強さと可愛さを見せた。殺される場面では哀れさもあって立派。
勘太郎の三五郎も軽いノリと、父の主人のために金を手に入れようとする誠実さ(ある意味変だが)、肝の据わった様子があって上々。強いて欲を言えば、あと一滴愛嬌があれば。
国生の八右衛門は一生懸命。子役の台詞回しが抜け切れていないところもあるが、まずは素直な演技。
彌十郎、亀蔵、笹野高史らいつもの面々も活躍。
最後、普通は源五兵衛こと不破数右衛門を他の義士が討ち入りの迎えに来るところ、声だけで勘三郎が由良之助で出演。
その声を聞きながら、巡る因果に呆然と数右衛門が客席通路をさまよう中、舞台では紗幕の向こうでこれまでの場面がフラッシュバックされて幕が下りる幻想的な終わり。何とももの悲しい、救いのない物語。
カーテンコールがあって少し明るい気分で帰れるが、作品の本質から言えば、カーテンコールはない方がむしろよかったような気もする。
コクーン歌舞伎第十二弾という。98年以来の再演となる「盟三五大切」だが、今回は勘三郎が休演。橋之助と勘太郎に、菊之助が初めてコクーンに参加、と言う新鮮な顔ぶれが話題。
盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)
串田和美 演出・美術
薩摩源五兵衛実ハ不破数右衛門 中村 橋之助
芸者妲妃の小万実ハ神谷召使お六 尾上 菊之助
船頭笹野屋三五郎実ハ徳右衛門倅千太郎 中村 勘太郎
芸者菊野 坂東 新 悟
若党六七八右衛門 中村 国 生
徳右衛門同心了心 笹野 高 史
船頭お先の伊之助 片岡 亀 蔵
富森助右衛門/家主くり廻しの弥助実ハ神谷下部土手平 坂東 彌十郎
コクーン歌舞伎は、これまで何度か観ているが、まあそれなりに面白いがあまり相性は良くない。今回も、勘三郎主演だったらきっと見ていない。勘三郎抜きで、どこまでやれるか、と言うのが興味の中心。
串田の演出は、紗幕を使用したり、花道代わりに客席通路を使ったり、役者のストップモーション、本水での雨、などこれまでにも見られたものの焼き直しで、それほど目新しくは感じなかった。
毎回音楽の使い方も話題になるが、今年はチェロの生演奏を入れてきた。これが個人的にはどうも受け入れられなかった。チェロだけでなく、スピーカーからもオーケストラ演奏のような曲が流れるときがあるのだが、それが台詞にかぶると五月蠅いだけでなく、どうも西洋音階の音楽と日本語の狂言の台詞とはまるで調性が合わないような不協和音のように聞こえてしようがなかった。これがオペラやミュージカルのように始めからそっちに合わせた台詞回しなら良いのだろうが、この南北作品のようなのだとまったく合わない。よく役者さんはあれにつられずに台詞が言えるなと思ってしまった。チェロの演奏も、たとえば殺しの場面のような緊張感あるところで使われるのだが、同時に歌舞伎本来の附けも入るので、お互いに邪魔してしまう。附けだけで充分。
音楽だけでなく、全体に説明過多というか、過剰というか、台詞にしても演技にしても、そこまでやらないといけないかな、という感じも受けた。特に殺しの場面の残虐さとか。殺し方が執拗で見ててしんどかったなあ。赤ん坊まで殺すし(あ、これは南北の元からある場面ですが)。
でも、役者の芝居は凄く良かった。
特に源五兵衛の橋之助。これまでは色悪をやっても線が細く、素の人の良さが見えて物足りないことが多かったが、今回は後半の殺人鬼と化してからの演技が鬼気迫るようで凄味があって怖いくらい。その分、小万を殺してから雨の中小万の首を抱いて歩く姿に、復讐を遂げてなお募る心の虚ろさと、殺しても消えない小万への愛情に引き裂かれる源五兵衛の悲しさが溢れていた。
橋之助、一皮むけたかな。次は古典歌舞伎でも良いところ見せてほしい。
菊之助の小万も、芸者らしい粋な色気があり、源五兵衛に悪いとは思いながらも三五郎のために金をだまし取る女の強さと可愛さを見せた。殺される場面では哀れさもあって立派。
勘太郎の三五郎も軽いノリと、父の主人のために金を手に入れようとする誠実さ(ある意味変だが)、肝の据わった様子があって上々。強いて欲を言えば、あと一滴愛嬌があれば。
国生の八右衛門は一生懸命。子役の台詞回しが抜け切れていないところもあるが、まずは素直な演技。
彌十郎、亀蔵、笹野高史らいつもの面々も活躍。
最後、普通は源五兵衛こと不破数右衛門を他の義士が討ち入りの迎えに来るところ、声だけで勘三郎が由良之助で出演。
その声を聞きながら、巡る因果に呆然と数右衛門が客席通路をさまよう中、舞台では紗幕の向こうでこれまでの場面がフラッシュバックされて幕が下りる幻想的な終わり。何とももの悲しい、救いのない物語。
カーテンコールがあって少し明るい気分で帰れるが、作品の本質から言えば、カーテンコールはない方がむしろよかったような気もする。
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