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秀山祭九月大歌舞伎・千秋楽夜の部  [舞台]

9月26日(日) 新橋演舞場

先週来たときはまだ猛暑日だったけど、約1週間でぐっと秋めいてきた。永遠に続くかと思うような猛暑でも、ちゃんと終わってくれるのね。

と言うわけで9月ももうすぐ終わり。今月の秀山祭もいよいよ千秋楽。
筋書きが売り切れになっていてびっくり。今月、はっきり言って客の入りはそんなに良くなかったはずなのに。舞台写真も売り切れのものが多数。千秋楽でも、歌舞伎座の時はこれほど売り切れになっていなかったと思う。つまり、なくなりそうになっても演舞場では増刷しないってことね。でもそれってあまりに不親切じゃないだろうか。千秋楽だからって、リピーターばかりじゃないのよ。この日しか来ないお客さんはいっぱいいるのに。こういう配慮のなさが演舞場の駄目なところの一つだと思う。

秀山祭poster.JPG

一、猩々(しょうじょう)
猩々  梅 玉               
猩々  松 緑              
酒売り  芝 雀

普通この演目の酒売りって青年の設定なので、芝雀さんが若者役やるのか、珍しいな、と思っていたら、女酒売りだった。やっぱりね。何というのか、萬歳のような衣装で、すっきりと品があっておきれい。ま、酒売りにはちょっと見えないけど。

猩々の梅玉と松緑は、持ち味がぜんぜん違うので、踊りも全くシンクロしているという感じではない。歌舞伎舞踊、というか日舞で不思議なのは、バレエだと「揃ってない」と減点になりそうなところが、ほとんど気にならないことだ。ここでも、おっとりと品がありながら切れのある動きも見せる梅玉と、やんちゃな少年のような明るさのある松緑の対比を楽しく観ることが出来た。しかし松緑ってこういう鬘をかぶると顔が丸いからほんとに人形みたいだなあ。

二、平家女護島
  俊寛(しゅんかん)
            
俊寛僧都  吉右衛門           
瀬尾太郎兼康  段四郎             
海女千鳥  福 助           
丹波少将成経  染五郎            
平判官康頼  歌 昇          
丹左衛門尉基康  仁左衛門

吉右衛門の俊寬を観るのはもう何度目かなあ。他のどの役者さんよりも胸をえぐられるような気がする。
俊寬は決して普通の意味で「いい人」じゃない。少将と判官が訪ねてくれないと愚痴を言うが、会いたければ自分から行けばいいのにそれはプライドが許さない。また、赦免の船が到着して、上使が二人の名前を呼ぶと、呼ばれてもいないのに二人を押しのけて前に出てくる厚かましいところもある。そんな男が、自分を捨てて千鳥を船に乗せるに至る、最大の動機は妻が殺されたと知ったこと。都に戻ってももう妻には会えない。妻がいないのに都の月がどう楽しめる。もちろん、「演劇界」の吉右衛門との対談で渡辺保さんが指摘するように、「家長」として家族を守ろうとした、と言うこともあるだろう、だけどやっぱりポイントは妻恋しの感情だと思った。

そう思ったのは、少将と千鳥の祝言の場で「肴いたそう」と扇代わりの松葉を手に立ち上がったとき、ふっと昔を懐かしむような何とも色気のある華やいだ表情が浮かんだこと。その瞬間、きっと自分と妻の祝言のことを思いだし、宮廷で華やかな貴族に取り巻かれていた自分に戻っていたに違いない。本当に一瞬の顔だったけれど、今回、幕切れよりもこのいちばん幸せそうな瞬間の顔がいちばん印象に残った。

もちろん、その後の劇的な展開はいつも通り、あるいはさらに進化して、俊寬の驚愕、束の間の安堵、絶望、そして幕切れでの絶対的な孤独へとの変化をまざまざと見せつけていく。観客は、いつの間にか俊寬が嫌な奴だったことも忘れて、瀬尾との戦いでは手に汗握ってしまうし、幕切れでは慟哭の後の呆然とした表情に胸を締め付けられる。なんと深い人間のドラマだろう。

少将の染五郎が爽やかで心の綺麗な青年の風情。千鳥との馴れ初めを俊寬に語るときの面映ゆそうな様子がよく、船に千鳥が乗れないと知って、それなら自分も残る、と言うところに真っ直ぐな千鳥への愛情が見えてなかなか。

一方の千鳥は福助だが、始めの方の、俊寬に恥じらいを見せる様子があまりにもわざとらしいというか、「ぶりっ子」(死語だけど、こうとしか言いようがない)振りが過ぎる。どうしてこの人は「普通に可愛く」できないんだろう?
後半、一人になってのくどきからは持ち直しただけに惜しい。いつもは吉右衛門と共演の時はもっと行儀良くできる人なんだが。

段四郎の瀬尾が憎々しさ十分で存在感たっぷりの様子。瀬尾はこれくらい嫌味にやってくれないと、と思わせるさすがの出来。
歌昇の判官康頼もきっちりと手堅い。

仁左衛門の丹左衛門はごちそう。自身俊寬役者である仁左衛門が、颯爽としたいかにも知情兼ね備えた能吏振りを見せ、一服の清涼剤のよう。明瞭な台詞、最後の出立の時の扇をあげての決まる姿の美しさ、さすがに贅沢なごちそう。昼の佐吉に相政で吉右衛門が出たことへのお返しみたいなものだろうが、観客にはこの上ない贈り物である。いつか逆の配役があり得るだろうか?それはないか…。

三、鐘ヶ岬(かねがみさき)
   清姫  芝 翫
「娘道成寺」の地唄舞版というところ。伴奏は琴、三味線と唄、笛の三人だけ。背景は一面の桜に薄墨で道成寺らしい寺がぼんやり浮かぶという、上品だがいささか地味な絵。芝翫は白地に枝垂れ桜の着物に角隠しという衣装。踊りも「娘道成寺」のように、くるくると動き回るのではなく、ゆったりと品のある様子で派手さはない。驚くのは、はっきり言って決して綺麗な人ではないのに(失礼)、いかにも娘らしい可愛らしさがにじんでいること。改めてすごいなあ、と思う。

  うかれ坊主(うかれぼうず)
   願人坊主  富十郎
踊りの名手富十郎の当たり役の一つ。ひょうひょうとしたおかしみのある願人坊主をおもしろ可笑しく見せてくれる。もちろん、若い頃のように体は動いていないし、たとえば三津五郎などの方が切れのある踊りを今は見せてくれるだろうが、それでもこの願人坊主のまさ仁江戸の街角で踊っているかのような味わいを富十郎ほど感じさせてくれる人はまだいない。80歳を超えてなおこれだけのものを見せていただいて、眼福と思う。
客席から姿は見えないが、鷹之助が裏で後見をしていたという。お父さんの踊る姿を目に焼き付けておいてほしい。

四、双蝶々曲輪日記
  引窓(ひきまど)
南与兵衛後に南方十次兵衛  染五郎             
女房お早  孝太郎             
平岡丹平  松 江             
三原伝造  種太郎            
濡髪長五郎  松 緑               
お幸  東 蔵

7月に松竹座で観たばかり。よくかかる演目だが、今月は播磨屋の当たり役に染五郎が叔父さんの指導を受けて挑む形。
染五郎は、前半の侍に取り立てられて浮き浮きとした様子から、母と長五郎の関係に気づいたところで一転する気持ちの変化をよく見せた。継母であるお幸が長五郎をかばっていることを知って、やっぱり実の子にはかなわないのか、と言う切ない気持ちを抑えて、母の望み通りにしてやる優しさと辛さが見えて上々。前は色町で遊んでいた風情もあり、元は代官の息子という育ちの良さも感じさせてなかなか。今後持ち役になるだろう。

孝太郎のお早は父仁左衛門相手でも務めており、安定した出来。元は遊女の色気を残しながらも、夫と姑に尽くす心優しい嫁の様子がよく出て立派。

松緑の長五郎も、やむなく人を殺して追われる身ながら、律義で義理堅い男の風情がありなかなか。やや台詞に力が入りすぎるところもあるが、大きな傷ではない。こちらもニンに合っていて、将来的にはこの三人での組み合わせはなかなか良いものになりそうな予感。

東蔵のお幸も情のある老母の風情で手堅いが、やや砕けすぎの感もあり、代官の未亡人という名残がもう少し見えても良いか。

最後は気持ちよく泣かせてもらって、良い打ち出しだった。今年の秀山祭は、昼夜とも見応えがあって満喫。富十郎さんと吉右衛門さんの共演が観られなかったのは残念だが、仁左・吉をたっぷり観られて幸せでした。


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