9月文楽公演・第一部 [舞台]
9月13日(月) 国立劇場小劇場
先週の天気予報では、暑いのは土日までです、と言っていたはずなのに、やっぱりまだ暑い。まあ、さすがに一時の35℃越えほどではないけど、劇場に着く頃はもうぐったり。
一・良弁杉由来(ろうべんすぎのゆらい)
志賀の里の段 英・南都・始・希、喜一朗・龍爾・清公
桜宮物狂いの段 呂勢・咲甫・睦・靖・咲寿、清治・清志郞・清馗・清丈・錦吾
東大寺の段 英・團七
二月堂の段 綱・清二郎
文雀の渚、和生の良弁、勘壽の雲弥坊
この良弁僧正は長い間玉男さんの持ち役だった。ずっと文雀さんの渚とのコンビだったなあ。今回は和生さんが初役で挑戦。
良弁の人形は、頭が小さくて軽いのに衣装が重いのでバランスが悪くて持ちにくい、と玉男さんが芸談でおっしゃっていたっけ。なるほど、たとえば傾城のように一杯飾りが付いている頭に比べると、何にもないから軽くて加減が難しいだろうな。
和生の良弁は出てきただけで高貴な人の清潔な雰囲気があり、気品もあって上々。特に前半はほとんど動きがない中で、渚の話を聞くうちに、もしやという驚きと再会の喜びへ変化する様子が自然で美しい。和生さんはこういう品のある役がよくお似合い。
だがなんと言っても出色は文雀の渚で、志賀の里の段はもちろん、物狂いとなってさまよう様子にも元は奥方の品がにじむ。そして、ふっと正気に返ったときに、明らかに様子が変わったのがわかるのがすごい。頭が変わるでもないのに、明らかに理性が戻ったのが目に見える。どうなっているんだろう?と思うくらい。
東大寺、二月堂の段では、みすぼらしいなりを恥じて恐れ入る様子に哀れさと30年の辛苦があり、良弁が我が子とわかっての喜びに慈愛が溢れるようで感動的。二人が抱き合って亡く場面は涙を誘う。
勘壽の雲弥坊におかしみと優しさがあってもうけ役。
二月堂の段で、良弁の先触れの供が毛槍を投げ合ったりするのがアクロバティックで面白かった。
義太夫は、英大夫が充実。東大寺では渚の必死さと雲弥坊の掛け合いを面白く聴かせた。
体調不良が心配された綱大夫だがこの日は無事にご出演。やや声量不足と不安定さは感じるが、母子対面の感動的な場面をさすがにじっくりと聞かせて立派。
途中、清二郎の三味線の糸が切れるハプニング。本番中に糸を替えるの見たの、二回目かな。
二・鰯売恋曳網(いわしうりこいのひきあみ)
五条橋の段 咲甫・宗助
五条東洞院の段 咲・燕三
勘十郎の猿源氏、清十郎の蛍火、玉女の海老名なあみだぶつ、文司の博労六郎左衛門
三島由紀夫作の歌舞伎の初文楽化。歌舞伎では勘三郎と玉三郎の当たり役で見ている。三島文学とは一風違ったユーモラスな内容で笑いの溢れる喜劇だが、果たして文楽ではどうなるか。
歌舞伎と違って演者のアドリブが効かない文楽では、さすがに勘三郎のように爆笑を呼ぶというわけにはいかない。至って行儀良いと言おうか。でも義太夫としてごく自然に耳に入ってくる出来になっていて、新作と知らずに聞いたら古典かと思われるよう。
作曲も担当した咲大夫と燕三が、猿源氏と蛍火のやりとりを丁寧にかつ軽妙に聞かせて面白い。
人形は全員最後まで頭巾を被ったまま。何でかな?
勘十郎の猿源氏に軽さとおかしみがあり、笑わせた。猿源氏の衣装の紋って鰯なのね。可笑しい。(清十郎さんのブログより)
清十郎の蛍火も美しく、品のある色気があって上々。蛍火の頭は「娘」なんだけど、ただのお嬢さんじゃなくてちょっときりっとした顔に仕上げてあるように見えたのも面白かった。
三島風の皮肉な笑い、と言うことだったが、身分の対称などはあるにしても苦々しいものではなく、おおらかな楽しさのある演目に仕上がっていたと思う。
余談だが、台詞の「伊勢国阿漕ヶ浦」とあるのが今月第二部の「勢州阿漕ヶ浦」とリンクしているのも面白い。
先週の天気予報では、暑いのは土日までです、と言っていたはずなのに、やっぱりまだ暑い。まあ、さすがに一時の35℃越えほどではないけど、劇場に着く頃はもうぐったり。
一・良弁杉由来(ろうべんすぎのゆらい)
志賀の里の段 英・南都・始・希、喜一朗・龍爾・清公
桜宮物狂いの段 呂勢・咲甫・睦・靖・咲寿、清治・清志郞・清馗・清丈・錦吾
東大寺の段 英・團七
二月堂の段 綱・清二郎
文雀の渚、和生の良弁、勘壽の雲弥坊
この良弁僧正は長い間玉男さんの持ち役だった。ずっと文雀さんの渚とのコンビだったなあ。今回は和生さんが初役で挑戦。
良弁の人形は、頭が小さくて軽いのに衣装が重いのでバランスが悪くて持ちにくい、と玉男さんが芸談でおっしゃっていたっけ。なるほど、たとえば傾城のように一杯飾りが付いている頭に比べると、何にもないから軽くて加減が難しいだろうな。
和生の良弁は出てきただけで高貴な人の清潔な雰囲気があり、気品もあって上々。特に前半はほとんど動きがない中で、渚の話を聞くうちに、もしやという驚きと再会の喜びへ変化する様子が自然で美しい。和生さんはこういう品のある役がよくお似合い。
だがなんと言っても出色は文雀の渚で、志賀の里の段はもちろん、物狂いとなってさまよう様子にも元は奥方の品がにじむ。そして、ふっと正気に返ったときに、明らかに様子が変わったのがわかるのがすごい。頭が変わるでもないのに、明らかに理性が戻ったのが目に見える。どうなっているんだろう?と思うくらい。
東大寺、二月堂の段では、みすぼらしいなりを恥じて恐れ入る様子に哀れさと30年の辛苦があり、良弁が我が子とわかっての喜びに慈愛が溢れるようで感動的。二人が抱き合って亡く場面は涙を誘う。
勘壽の雲弥坊におかしみと優しさがあってもうけ役。
二月堂の段で、良弁の先触れの供が毛槍を投げ合ったりするのがアクロバティックで面白かった。
義太夫は、英大夫が充実。東大寺では渚の必死さと雲弥坊の掛け合いを面白く聴かせた。
体調不良が心配された綱大夫だがこの日は無事にご出演。やや声量不足と不安定さは感じるが、母子対面の感動的な場面をさすがにじっくりと聞かせて立派。
途中、清二郎の三味線の糸が切れるハプニング。本番中に糸を替えるの見たの、二回目かな。
二・鰯売恋曳網(いわしうりこいのひきあみ)
五条橋の段 咲甫・宗助
五条東洞院の段 咲・燕三
勘十郎の猿源氏、清十郎の蛍火、玉女の海老名なあみだぶつ、文司の博労六郎左衛門
三島由紀夫作の歌舞伎の初文楽化。歌舞伎では勘三郎と玉三郎の当たり役で見ている。三島文学とは一風違ったユーモラスな内容で笑いの溢れる喜劇だが、果たして文楽ではどうなるか。
歌舞伎と違って演者のアドリブが効かない文楽では、さすがに勘三郎のように爆笑を呼ぶというわけにはいかない。至って行儀良いと言おうか。でも義太夫としてごく自然に耳に入ってくる出来になっていて、新作と知らずに聞いたら古典かと思われるよう。
作曲も担当した咲大夫と燕三が、猿源氏と蛍火のやりとりを丁寧にかつ軽妙に聞かせて面白い。
人形は全員最後まで頭巾を被ったまま。何でかな?
勘十郎の猿源氏に軽さとおかしみがあり、笑わせた。猿源氏の衣装の紋って鰯なのね。可笑しい。(清十郎さんのブログより)
清十郎の蛍火も美しく、品のある色気があって上々。蛍火の頭は「娘」なんだけど、ただのお嬢さんじゃなくてちょっときりっとした顔に仕上げてあるように見えたのも面白かった。
三島風の皮肉な笑い、と言うことだったが、身分の対称などはあるにしても苦々しいものではなく、おおらかな楽しさのある演目に仕上がっていたと思う。
余談だが、台詞の「伊勢国阿漕ヶ浦」とあるのが今月第二部の「勢州阿漕ヶ浦」とリンクしているのも面白い。
お誕生日おめでとうございます!!
今年一年すてきなことがありますように^^
by リュカ (2010-09-17 23:02)
リュカさん、ありがとうございます~!
同じ誕生日なんて不思議なご縁ですよね。
これからの一年も、いろんな素敵なものを見ていきたいですね。
by mami (2010-09-17 23:57)