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御名残四月大歌舞伎・第二部 [舞台]

4月19日

先週はずっと真冬並みの寒さだったが、やっと春らしい青空がのぞいた。
歌舞伎座はいよいよ後10日あまりとなって、今日も大混雑。

  菅原伝授手習鑑
一、寺子屋(てらこや)
             
松王丸  幸四郎               
千代  玉三郎               
戸浪  勘三郎           
涎くり与太郎  高麗蔵              
菅秀才  金太郎             
百姓吾作  錦 吾             
園生の前  時 蔵             
春藤玄蕃  彦三郎             
武部源蔵  仁左衛門

三月から、いや「車引き」も入れると1月から、ぶつ切りに上演されてきた「菅原伝授」、ようやく最後の「寺子屋」である。ある意味オオトリとも言えるこの段での松王丸が幸四郎というのは、いやはや。吉右衛門で見たかったよなあ。まあ、今月は熊谷をやっているからしかたないけど。

仁左衛門の松王丸は何度か見たことがあるが、源蔵は初見だと思う。上方流なのか松嶋屋型なのか、ところどころ違いがあって面白い。いちばん、あれ、と思ったのは、源蔵の有名な台詞「すまじきものは宮仕え」を竹本に言わせたことで、源蔵の聞かせどころともいえるこれを言わないのは、何か深い考えがあってのことだろうか‥‥?
他にも、千代に斬りかかる前に背を向けてちょっと手を合わせたり、戸浪と抱き合ったり、仁左衛門らしい、律儀で情の厚い様子の伝わる源蔵だった。

またこの型では、本筋ではないが、源蔵が子供たちに奥で遊んできて良いと言ったとき、他の寺子たちに連れられて菅秀才も一緒に奥へ姿を消した。普通だと戸浪が別の部屋へ連れていくのだが、この方が若君も子供たちと交わって仲良くしているんだなあ、と思えてちょっと心暖まる思いがした。

勘三郎の戸浪も、仁左衛門によく付き合って、きっちりとした行儀の良い古風な女方の趣。この人は惜しいことに声が悪いのでお姫様みたいな役は出来ないが、忠臣蔵の戸無瀬にしてもこれにしても、意外に女方の方が羽目を外さないきれいな演技をする気がする。

さて、問題の幸四郎の松王丸である。まず登場してすぐの戸口外での咳込みがいくらなんでもしつこすぎる。玄蕃に病人と見せかけるだけのためなんだから、なにもあそこまでゲホゲホやらなくていいだろう。見ていてこっちまでしんどくなってしまう。義太夫狂言でのリアルを勘違いしてやしないか。
かと思うと、戸浪に机の数を問いただしたり首実検などは意外にあっさりとやってしまうし、なんだかあれれ、なのである。通り一遍型どおりにやってるだけというか、思い入れが浅いというか。ためが効かないんだよね。
幸い、後半、戻ってきて真実を明かしてからは持ち直して、なんとか無事に泣かしてはもらえたが(苦笑)、う~ん、本来ニンであるべきこの役でこれでは高麗屋はどうなっちゃうんだろう。前に秀山祭で、吉右衛門の源蔵とやったときの方がずっと良かったと思うのだが、退化してもらっちゃ困る。

問題は玉三郎の千代もで、この人の悪い癖で、何とも情の薄そうな、子供の小太郎のことを悲しんでいると言うより、自分が悲劇のヒロインなの、とでも言わんばかりの演技でがっくり。「母性」が全然感じられないんだもの。なんだかあっさりし過ぎてるのよね。今月第一部の藤十郎の相模とえらい違いである。福助みたいにわんわん泣けばいいってものでもないんだけど、何とも冷たい母親という感じがしてしまった。

彦三郎の玄蕃は線は細いが憎体なところが十分あって立派。
時蔵の園生の前は出番が少なくてもったいないが、さすがに気品がある御台所の風情。
菅秀才の金太郎は、台詞の出だしはいいがどんどん尻すぼみになってしまうのが聞き苦しい。まだちょっと無理なのでは。
涎くりが高麗蔵というのはちょっと気の毒な気もするが、さすがにきっちり笑いを取って、最後は父親役の錦吾を背負って退場。普通はあそこで「歌舞伎に連れてってくれなきゃやだ~」みたいな駄々をこねるがそれがなかったなあ(笑)。

二、三人吉三巴白浪(さんにんきちさともえのしらなみ)
  大川端庚申塚の場             
お嬢吉三  菊五郎             
和尚吉三  團十郎            
夜鷹おとせ  梅 枝             
お坊吉三  吉右衛門

当代の團菊吉によるこの演目は、確か10年くらい前に通しでの上演があったように思うが、おそらくそれ以来の顔合わせではないかと思う。
菊五郎のお嬢は、先月の弁天娘とよく似た役で、はまり役の一つであり悪かろうはずもない。なんと言っても娘から男、また娘へとの変化が自在で不自然さがないのが上手く、巧まずして笑いを取るといった風情。眼目の名台詞も、これ見よがしではないのにしっかりと歌い上げて心地よく聞かせてくれ、まさに名調子という様子。

対する吉右衛門のお坊も、身を持ち崩しても消えない育ちの良さを感じさせ、男の色気のある風情が魅せる。お嬢とお坊の対話に、何ともいえない黙阿弥の描く江戸の退廃的なムードが色濃く漂うあたりが、若手では及びのつかない世界でさすがと唸らされた。

この二人に割って入る和尚の團十郎も、さすがにきっぱりとした江戸の男の雰囲気があって上手い。

この三人の前に出てくる梅枝も相当なプレッシャーではないかと思うが、夜鷹ながら心根の正直なおとせを見事に表していて立派なもの。

この頃は若手での上演機会が多い演目だが、さすがにこれだけの顔ぶれが揃うと、一味も二味も違う、黙阿弥の江戸の闇の暗さがほの見えるような、まさに錦絵のごとき舞台だった。久しぶりにまた三人で通しをやってくれないかしら、と思う。

三、藤娘(ふじむすめ)             
藤の精  藤十郎

いやはや、いつもながら藤十郎の若々しさ、美しさには脱帽である。綺麗なだけじゃなくて、ちゃんと藤「娘」の可憐さ、溌剌とした色気があるのがすごい。まさに眼福の一幕。3年後、新しい歌舞伎座で娘道成寺を踊るというのも、ありえない話じゃなさそう。ぜひぜひ期待して待ちたい。

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