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松竹座壽初春大歌舞伎・昼の部 [舞台]

1月4日

初日に夜の部を先に観て、一日間を置いて昼の部を観る。
(若干ネタばれあり)

仮名手本忠臣蔵
 大 序 鎌倉鶴ヶ岡兜改めの場
 三段目 足利館門前進物の場
    同 殿中松の間刃傷の場
藤十郎の師直、扇雀の塩谷判官、翫雀の若狭之助、孝太郎の顔世、進之介の足利直義

開幕前に口上人形による役名の読み上げがあるのは同じだが、大阪のお客さんは一々拍手なんてしない。さすがに藤十郎とか一部の幹部俳優の名前には拍手が起きたがそれも控え目。ある意味ドライなのか?それとも東京のお客さんが律儀なのか(笑)。

幕も、定式幕ではなく「大手・笹瀬」という黒地の幕で、オペラなどで使うように真ん中から両袖へ引かれる形なのが珍しい。
「大序」では幕が開くと既に舞台には兜を入れた櫃が置いてある。その後はほとんど江戸型と変わらないが、幕切れは(直義が戻ってくると聞いた師直の)「還御だ」で師直と若狭之助がにらみ合って終わるので、直義と判官は登場せず、従って師直の「早えわ」もない。
「三段目」はあまり違いはなかったかな。

藤十郎の師直が憎々しげな中に色気と品があるのがさすが。「殿中」ではネチネチと陰険な様子が十分。個人的には富十郎さんの嫌味だけど陽性な感じの師直の方が好き。
翫雀が血気にはやった若狭之助の勢いを見せてニンにあった様子。
孝太郎の顔世もしっとりと品の良い雰囲気。
扇雀の判官もおっとりとした大名の品があり四段目ともども行儀の良い出来。

四段目 扇ヶ谷判官切腹の場
 同   城明渡しの場
藤十郎の由良之助、壱太郎の力弥、我當の石堂、薪車の薬師寺
「切腹」はほとんど一緒。葬送の後、「評議」がなくてすぐに城外になるので展開が早い。

ここも扇雀の判官が良い。死への覚悟と無念さを胸にしまって切腹に臨む悲哀があり立派。たまにはこういうちゃんとした役をやっておかないとねえ(苦笑)。
藤十郎はここでも腹の据わった懐の深い様子を見せ、判官の最期にあたり「委細、承知」との一言に万感がこもって泣かせる。一人門外に佇み九寸五分を取り出して覚悟を決める様子がさすがに大きく存在感たっぷり。
壱太郎の力弥が楚々としたお小姓の雰囲気があり上々。もうすっかり子役は卒業なのねえ。初舞台を観たのがついこの前みたいなんだけど(笑)。だんだんお母さんに似てきたみたい。
我當の石堂が情け深い上使の様子で貫禄を見せてさすがに立派。
二枚目の薪車が赤面の薬師寺は気の毒だが、嫌味な風情がありなかなか。

東京ではこの後「道行旅路の花聟」がかかることが多いが、今回はそれがなくその代わり夜の部で八段目を上演している。なので昼はすぐに五段目にはいる。

五段目  山崎街道鉄砲渡しの場
  同   二つ玉の場
六段目  与市兵衛住家勘平腹切の場
藤十郎の勘平、秀太郎のおかる、翫雀の斧定九郎、孝太郎の一文字やお才、竹三郎のおかや

五段目でいちばん違うのは定九郎。普通のは黒の着付けに台詞は「五十両」の一言だけ。上方流は、文楽の通りで、与市兵衛相手に早く金を出せとかペラペラしゃべりまくる。着物もみすぼらしいし。これはやっぱりその昔仲蔵が発案した今の扮装の方が悪の魅力発揮か(笑)。

六段目では、家に戻った勘平が、江戸型だと浅葱色の紋服に着替えるが、こちらは普通の縞の着付け。最後に切腹して息絶える直前におかやが紋服を着せかける形。その切腹も、部屋の隅に行って後ろ向きになって行う。例の「色にふけったばっかりに」の台詞もないのは本行通り。

藤十郎の勘平は、色男で、ちょっと軽はずみなところもあり、と言う風情がつっころばしの役と共通するところもないではなく、役作りに無理はない。だがその分、武士としての勘平の、なんとしてでも元の侍に立ち返って面目を立てたいという悲痛なまでの思いは若干薄く、可哀想ではあるけれどもらい泣きするほどではないか。

秀太郎のおかるはさすがに本役で、しっとりと行儀の良い様子で、勘平と別れて身を売る切なさを全身で表して見応えがあった。
翫雀の定九郎は勢いがあって良いが、前述のような定九郎なので、悪の凄みには欠ける感じ。大体この人はいつも人の良さそうな役が多いので、こっちもそんな風に見てしまうのかもしれないが。
孝太郎のお才は手堅いが、花街の女将という酸いも甘いも心得た様子まではまだ出ない。
竹三郎のおかやもきっちりとした出来。

昼の部で六段目までやってしまうと言うのは、全体に江戸型ほど入れ事がなくてスピーディーに進行するからではあるが、昼の部だけで切腹の場が二つというのは観る方もかなりしんどいのは事実。夜の部とのバランスからしていささか問題があると思う。

藤十郎奮闘の四役は、どれも80点くらいの水準には達していて、こんないろいろな役を一人でこなせる役者も他にはいなさそうで(まず由良之助と戸無瀬を両方やれる人がいないだろう、強いて言えば勘三郎ならやれるかも)、それは素直に凄いと思うが、由良之助なら吉右衛門や仁左衛門、勘平なら菊五郎などの第一人者に比べるとやはり物足りないところもあり、「忠臣蔵を観た」という満足感よりは、「藤十郎の大奮闘を観た」と言う感想になってしまうのは否めないのがいささか辛いところ。
とは言え、上方風の演出というのもまた別の味があって面白く、他の狂言でもこういう試みがもっとあっても良いように思う。

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